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金曜 18:00〜21:30?
カナダのファースト・ネーションズ最大の部族のひとつ、オジブワ族の青年ソール・インディアン・ホースは、カナダはケープ・ブレトンにあるメンタルヘルスケア施設〈ニュー・ドーン・センター〉でアルコール依存症を治療している。主治医に促され、彼は自分の来歴について書きはじめる。
わたしの名前はソール・インディアン・ホース。メアリー・マンダミンとジョン・インディアン・ホースの息子。祖父はソロモンと呼ばれていたから、わたしの呼び名はそれにあやかっていることになる。北部のオジブワ族、わたしたちはアニシナベグと呼ぶのだが、そのフィッシュ・クランがわたしたち一家の出自である。
オジブワ族の作家リチャード・ワガミーズは、二〇世紀後半のカナダに生きるひとりの先住民の手記という形をとって、カナダにおける先住民同化政策の内実を明らかにし、それに翻弄された青年が回復のとば口に立つまでの過程をとらえている。
一九五〇年代後半、ソールとその家族はオンタリオの森で暮らしていた。ソールが物心ついたときには、家族はふたりの子供、ソールの姉と兄を失っていた。姉のレイチェルはソールが生まれる前、そして兄のベンジャミンはソールが四歳のときに、白人に森の外へと連れ去られたのだ。白人が先住民の子供を連れ去って収容していた「学校」にベンジャミンが消えたとき、一家はそれまでの野営地を後にし、さらに北の奥地へと向かう。
間もなくして、いちどは「学校」から脱出してきたベンジャミンが肺炎で亡くなったとき、彼を教会で見送ることを希望した夫婦は、息子ソールと、オジブワ族の古くからの慣習に身を置くソールの祖母を冬の森に残して旅立つ。
家族のなかのふたつの世代が引き裂かれるこの場面が、ソールと両親との最後の別れになる。両親が戻らないまま冬が来て、食料が底をつき、ソールと祖母は、祖母の親戚を頼って吹雪のなかを移動する。寒気は、ソールが熱を確保するために祖母の腿にしがみついて歩かなくてはならないほどだった。やっと線路が見えたとき、力つきて息絶えた祖母は駅に置き去りにされ、ソールは男たちに保護されて〈聖ジェローム・インディアン寄宿学校〉に収容される。
〈聖ジェローム〉に連行された部族の子供たちは、もとから持っていた名前を奪われたうえで聖書的な名前を付され、英語以外の言葉を話すのを禁じられ、聖書の読解を強制される。罰則には鞭や、「鉄のシスター」と呼ばれる地下室の独房が使われた。
強制労働や虐待や病を放置された末に亡くなった子供たちの名前を挙げながら、ひとりひとりの身になにが起こったのかを数ページにわたって淡々と告げたあとでソールは言う、「〈聖ジェローム〉はわたしたちの身を削り落とし、わたしたちそのものに穴をあけた。ずっとわからないでいる、わたしたちを見守っていると彼らが言い募る神が、どうして顔を背けてこのような非情と暴力を看過できたのだろう」。
娯楽時間のアイスホッケーが、ソールにとってのたったひとつの光明になる。彼は〈聖ジェローム〉に赴任してきた若い神父ガストン・ラボティリエの手引きではじめてアイスホッケーに触れる。年少だったソールははじめ試合への参加を許されないが、早朝に無人のスケートリンクを掃除したあと、ひそかにリンクに立つ。はじめこそリンクにある椅子から手を離せないが、やがて「椅子を離れる朝がやってきた」。
鳥になった。はじめこそぎこちない鳥だ、でも空の生き物には違いなかった。転ばないためには傾きすぎるほど前に傾かなくてはいけなかったけれど、自分を操ることができていた。脳裏ではスケートを身につけたこの身体がどう動きたがっているかがわかり、それにむかって動き出した。
生まれつき目に見えないものが見える資質があったソールには、ゲームの展開を見通す力もそなわっていた。彼はまもなく目覚ましいプレーで頭角をあらわしてゆく。アイスホッケーへの没頭は、他の辛いことが締め出されるシェルターとしても、また苦境を生きる仲間を見出すのにも、素晴らしい役割を果たした。仲間のなかでただひとり英語ができたソールははじめこそ周りから「ザウナガッシュ」(オジブワ語で「白人」の意)と呼ばれるアウトサイダーだったが、やがてほんとうの名前で呼ばれるようになる。「わたしはザウナガッシュでいるのをやめた。ソール・インディアン・ホース、オジブワの少年で、ホッケー・プレーヤーだった。わたしたちは兄弟だった」。神父は自室にソールを招き、テレビ放映されているホッケーの試合を見せて、彼をはげます。
寄宿学校での生活が五年目になるころ、ソールはマニトウワジという村のホッケーチームから声をかけられ、寄宿学校を出ることになる。ソールの出所を助けたチームの監督フレッド・ケリーの一家は彼のあらたな家族になり、彼はホッケーチーム〈ザ・ムース〉の一員になる。フレッドの息子でチームの主将、十七歳のヴァージルは、十三歳のソールにとって兄のような存在になった。
彼らは先住民のコミュニティによって構成されたホッケーリーグに参加していた。古いヴァンに乗ったチームはリーグツアーを行い、行く先々で暖かい歓待を受ける。コミュニティを転々として試合をする一連のエピソードは幸福な充実感に満ちている。
だが、〈ザ・ムース〉とその非凡なルーキーが有名になり、白人のチームからの試合のオファーが来るころ、アイスホッケーはソールを安らぎとはべつの場所へと導く。白人のチームと試合をすることは、カナダのレイシズムに直面させられることでもあった。ひとたび〈ザ・ムース〉がリンクに立つと、リンクはブーイングとヘイトに囲まれる。相手チームに大勝したあとの食堂で、〈ザ・ムース〉のチームメイトたちは地元の白人に暴行される。帰りのヴァンのなかで、ヴァージルとソールは言葉を交わす。
「でもなにが恐ろしいかわかるか、ソール? 叫び声も、悪態も、なにもなかった。あいつらはだまってやった。まるで普段からやっているみたいに。人間があんなに冷酷になれるのかと思ったよ」
「おれたちが勝ったのが憎いのかな?」ついにわたしは訊いた。
「おれたちがインディアンだから憎いんだ」
「なにもしていないよ」
「一線を越えたんだ。連中のひいた線を。あいつらはそのつけを払わせる権利があると思ったんだよ」
リンクの内外で標的にされ、小柄なソールのなによりの強みだったスピードはラフプレーで阻まれるが、リンクという彼にとっての聖域で、ソールは反撃しない。だが北米のNHL(ナショナルホッケーリーグ)に所属するトロントのチームにスカウトされ、白人だけのチームで唯一のインディアンとしてプレーするようになるころ、ソールがそれまで抱えていた思いが暴力となって噴出する。新聞で記者が書き立てる「荒くれのインディアン」という先住民のステレオタイプに応えるように、挑発には拳で応じるようになる。
わずかなシーズンで大量の得点とペナルティをあげてトロントを後にしたソールは十七歳になっている。彼は〈ザ・ムース〉がいる古巣に戻り、伐採の仕事をはじめる。深酒をするようになっていたソールは、チームに戻ったあとの試合でも、さまざまな人種が集まる仕事場でも乱闘騒ぎを起こし、ついには酒場で挑発してきた男を半死半生の目に遭わせてしまう。
床に落として全力で頭を殴ると、男は床にのびた。振り返って周りの連中を見た。わたしの内側は凍りついて真っ黒になっていた、水面下の氷山のようだった。だれか立ち上がるやつは、殴りかかってくるやつはいないか、爆発を促してくれないかと思っていた。
寄宿学校を出て以来の故郷マニトウワジを十八歳で後にし、ひとりでカナダじゅうを放浪する日々がはじまる。一度は他人の親切に身を委ねかけるが、ひととの近しさに耐えられなくなるとまた出て行くことを繰返した。ウィニペグの路上で卒倒して病院に保護されたとき、ソールは三十歳になっていた。
病院から紹介された治療施設〈ニュー・ドーン・センター〉で過ごすうち、オジブワ族の家族の幻影を見たソールは、彼らに導かれるようにしてすでに跡地となった〈聖ジェローム〉を訪ねる。長旅の末、十年以上ぶりにスケートリンクの跡に立ったとき、自身の内のもっとも深いところに隠されていた事実に思い当たる。自分をアイスホッケーの世界に導いてくれた神父が、自分をレイプした人間でもあったこと、スケートリンクの掃除という仕事を与えたのは、その口止めのためであったことを思い出す。
わたしはゲームに逃げたのだった。逃げてそれを抱きしめた、その避難路へ行くためならなんでもやった。なにもかも忘れてプレーした。自分自身を忘れるために。観衆とプレーヤーのレイシズムがわたしを変えようとしたときには怒った、なぜなら彼らが奪おうとしていたのはわたしに持ちえた唯一の保護だったから。実際にそうなったとき、もうゲームはわたしを守ってはくれないとわかった。わたしの無垢が虐待されレイプされたという真実が水面にあらわれそうになると、怒りと憤りと暴力で身を守ろうとした。
自分の生まれ育った森で祖先や別れた家族の魂と邂逅し、ふたたび〈ザ・ムース〉がいるマニトウワジへ戻った夜、ソールは第二の育ての親、マーサとフレッドのケリー夫妻と言葉を交わす。彼らもまた寄宿学校の生存者だったことがわかるこの場面は、ソールが自身の苛酷な秘密を発見するまでの戦いの終わりと、回復への挑戦がはじまる瞬間を示している。
「全員がレイプされたの?」わたしは尋ねた。
長い沈黙だった。遠くで、工場と列車の音が聞こえた。わたしは待ち、ふたりは床を見つめていた。
「レイプがいつも性的なものとはかぎらないわ、ソール」マーサが言った。
「心に侵入されたら、それがレイプなんだ」フレッドは言った。
わたしはうなずいた。「そういうふうに感じた。侵入されたって」
「いまは?」フレッドが尋ねた。
「いまは、これまでみたいな生活をとにかくやめたい。古いものの上に、なにかあたらしいものを建てたい。ここに戻ってきたい。なにかやれそうだと思えるのはここだけなんだ。自分がどうしたいのかわからない。ただ、なにができるかを考えてみたい」わたしは両手を絞ってふたりを見た。
フレッドが手を伸ばしてマーサの手を取った。ふたりは顔を見合わせてほほえんだ。「いつか、あなたがそう言ってくれたらとずっと思ってた」彼女は言った。「あなたを探し出したくても、できなかった。道はあなたひとりで見つけ出さなければいけないのをわかっていたから。その旅がとてもつらいものになるのがわかっていて、わたしたちにはそれがなによりつらかった――それでも見送らなきゃいけなかったのよ」
「彼らがわたしたちの内側を掻き出したんだよ、ソール。わたしたちのせいじゃない。わたしたちの誰にもどうしようもないことだった。誰にも」フレッドは言った。「でも回復は――わたしたち次第なんだ。それに救われたよ。これが自分の試合だとわかったから」
「長い試合になりそうだね」わたしは言った。
「だったらどうする?」彼は言った。「スティックを氷から離さず、足を動かしつづけることだ。そうやって時間は経っていくんだから」
「そのやり方は知ってる」わたしは言った。
「そうだろうとも」彼は言った。
ソールの語りは、〈ザ・ムース〉の元チームメイトとその妻や子供たちとホッケーをはじめるところで終わる。
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リチャード・ワガミーズは一九五五年オンタリオ生まれ。軍用テントを拠点にしたコミュニティで家族と暮らしていたが、三歳のころ両親にネグレクトされ、兄弟たちとともに警察に保護されたのち、政府の采配で先住民の子供を養子に出す同化政策(いわゆる「Sixties Scoop」)によって、白人の家族に育てられる。十六歳で学校をドロップアウトすると図書館に入り浸るようになり、そこで様々な本を読んだという。十代の後半から二十代の前半にかけては、里親からの虐待などによるPTSDやアルコール依存と向き合いながら、カナダ各地の路上と、ときには拘置所を転々とした。『インディアン・ホース』はワガミーズの自伝ではないが、語り手兼主人公のソール・インディアン・ホースの経験に、著者の経験が昇華されているのは想像に難くない。一九七九年にはレジーナの先住民の地方紙記者として働きはじめ、カナダの先住民をめぐるコラムニストとして活動した。デビュー小説The Keeper’n Me (一九九四年)以来、さらに八冊のフィクションと、五冊のノンフィクション、一冊の詩集を出版している。
また、二〇一二年の本作『Indian Horse』は二〇一七年にステファン・カンパネッリ監督によって映画化され、バンクーバー国際映画祭でグランプリを獲得した。
★映画『INDIAN HORSE』メイキング(CBCニュース)
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インディアン寄宿学校(Indian Residential School)は一八三一年から一九九六年にかけてカナダ各地に設立され、キリスト教教会とカナダ政府によって運営されていた。その目的はインディアンやイヌイットやメティの子供にたいするヨーロッパ・カナディアン文化への同化政策であり、当時の入所者の数は全国で約一五万人、施設内での死者は推定六〇〇〇人ともいわれている。当局はしばしば先住民の生活圏に侵入し、子供を誘拐して施設に収容した。
『インディアン・ホース』の物語は一九九〇年を迎える前で終わっている。ソールは心身の回復に乗り出すけれども、その舞台は先住民のコミュニティであり、白人社会とのコミュニケーションは断絶したままだ。スティーブン・ハーパー(元)首相がここで語られたような「文化的ジェノサイド」の事実を認め、カナダ政府として正式に謝罪したのが二〇〇八年のことであり、そこにいたるまでのへだたりもまた、この微妙な結末に示されていると言ってよいだろう。またなにより、政府による公的な謝罪を経てこそ、作家がカナダにおける一連の事件の忘却と無関心に抗って小説を書いたことの意味は見逃せない。
暴力を受けた個人の回復の可能性を信じることが、しばしばその暴力自体を容認するレトリックとして利用される危険をはらんでいるとすれば、『インディアン・ホース』は、人間の回復する力を認めることと、人間性を否定する暴力を忘れないことを両立させる姿勢を、あらためて読者に考えさせる。
本書はまた、印象的な試合場面に満ちたスポーツ小説でもある。アイスホッケーの試合をなにより美しいものとして見ているソールは、スコアの競争の結果を書き留めるだけでなく、印象的なプレーの流れを簡潔に描写している。また、相手チームや観客、またソールが身を置くチームの構成員の違いによって、スコアを競うのとは別の「試合」が行われているという視点が印象的である。たとえばナショナルリーグでの試合では、ソールは白人のチームメイトのなかでただひとりのインディアンになり、そのなかで厳しい人種間のゲームを強いられる。
このようにアイスホッケーは、語り手にとって必ずしもパーフェクトな希望ではない。ホッケーは当初ソールの安息の場所として登場するが、それを続けることで彼の状況はさらに厳しいものになってゆく。ある苛酷な状況での避難所としてのホッケーを教えた神父こそ、じつはその苛酷さの源であったという展開はその最たるものだ。しかし、そこからの回復を試みるときに支えとなるイメージもまた、アイスホッケーに関わっている(「スティックを氷から離さず、足を動かしつづけることだ」)。このスポーツが持つ重層的な意味が、小説の奥行きになっている。
なにより卓越していると感じるのは、過去の悲劇を事実として伝えるにとどまらず、読み手の痛覚を呼び覚ますところまで降りてくるようなワガミーズの語りである。二〇一七年に亡くなったワガミーズによせて、作家のルイーズ・アードリックは彼を「人間の傷がもつ秘密を直感でとらえ、傷つき打ちのめされた人々こそもっとも奇妙で、だれより類い稀な者たちだと知っていた」と評した。この姿勢は『インディアン・ホース』にもあらわれている。ワガミーズのテキストは、たんに痛みを抱えたひとについて知るだけでなく、読み手がテキストを通じてその痛みを生きるよう促すようなところがある。
ラボティリエ神父がレイプの加害者であったことが小説の終盤まで明かされないために、読者は、ソールがそうと認識せずにトラウマを抱えて生きてきた生活を、読むことで追体験することになる。われわれが虐待者に気づく難しさは、そのまま、被虐待者がトラウマを見出す難しさになるのである。そうであればこそ、自身の傷を発見した書き手の衝撃と痛みが、まっすぐ読み手に届く。
回想録の形式を採りながらも、過去の経験にたいする批評の言葉を排して、あくまでその瞬間ごとの喜びや苦痛に傾注して書かれた『インディアン・ホース』には、独特の曇りのなさがある。そのときの感情の揺れと行動が、たしかに起こったこととして淡々と書き留められているのを読み進めるうちに、人間の傷とその回復について深い示唆を与えられる。
★著者による『INDIAN HORSE』講義と朗読、質疑応答
(2013年、ブリティッシュコロンビア大学にて)