月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
ワシントン・スクエアの西のほうの小さな地区は、道が狂ったように入り組み、プレースと呼ばれる小道で細かく分かれている。この「プレース」は変な形だったり曲がったりしている。一本の道がそれ自身とまたぶつかったりもする。ある画家があるときこの通りは役に立つかもしれないと気がついた。絵具や紙やキャンバスの請求書を手にした集金人は、この道を通り抜けようとすると、突然元のところへ戻ってきてしまうのだ、今月分を一セントも回収できずに!
そうして、古びた趣のあるグリニッジ・ヴィレッジには芸術家たちがまもなく集まってきて、北向きの窓で十八世紀の外壁でオランダ風の屋根裏で安い賃料をうろつき探し回った。そして白鑞のマグカップと下にコンロのついた平鍋を一つ二つ六番街から持ち込み、「芸術村」を形成した。
ずんぐりむっくりの三階建てのレンガ造りの一番上に、スーとジョンシーはアトリエを構えていた。「ジョンシー」とは「ジョアンナ」の愛称だ。片方はメーン、もう片方はカリフォルニア出身だった。二人は八番街の「デルモニコス」のランチメニューで出会い、芸術や、チコリーサラダや流行りの膨らんだ袖の好みがぴったり合うことに気がついて、アトリエを持つにいたったのだった。
それが五月だった。十一月になると冷たく、目には見えない、医者が肺炎と呼ぶよそ者が、「芸術村」を闊歩し、そこここの人に氷のような指で触れてまわった。東側をこの略奪者は大胆に歩き回り、何人もの犠牲者に噛みついたが、その足は狭く苔むした「プレース」の迷宮を通るときにはのろくなった。
ミスター・肺炎はいわゆる老紳士とはいえなかった。きゃしゃで小柄なカリフォルニアのそよ風で血の気の薄い女性は、真っ赤なこぶしを握り締め息を荒げている老いぼれにとって格好の獲物とはいいがたい。しかしジョンシーは襲われ、寝こみ、ほとんど動けず、自分で塗った鉄の寝台で、小さなオランダ風窓を透かして隣のレンガ造りの何もない壁を見つめるばかりとなった。
ある朝せかせかした医者がもじゃもじゃの灰色の眉でスーを廊下に呼び出した。
「可能性は十のうち……そうですな、一つといったところでしょう」医者は水銀柱を下げようと体温計を振りながら言った。「しかもそれは本人の『生きたい』という気持ちにかかっている。こうやって葬儀屋の側に並んでる人間は、どんな薬局方もばかげたものにしてしまいますよ。あなたのお嬢さんは、もう自分はよくならないものだとばかり思いこんでおられる。なにか彼女が心にかけているものはないですか?」
「あの子は……あの子は、いつかナポリ湾を描くんだって言ってて」スーは言った。
「絵ですと? いやはや! もっと他に考えることがあるでしょう、男のこととか」
「男?」スーは口琴を咥えたような鼻にかかった声で言った。「男が何になるって……ああ、いえ、先生、そういうことはありませんね」
「ふうむ、それは弱みですな、それに」と医者は言った。「私は科学に基づいてやりますから、私の努力のかぎりにおいてなら、ほぼ何とかなるでしょう。しかしですな、私はいつも、患者が自分の葬式に並ぶ車を勘定し始めたら治療薬のききめを五十パーセント引くことにしてるんですよ。あの子に次の冬流行る外套のそではどんなかしらなんて言わせられたら、五に一つになったと請け合いますよ、十に一つからね」
医者が帰ったあとスーは作業部屋に入り日本製のナプキンがぼろぼろの紙くずになるまで泣いた。それから画板を抱え、軽快なラグタイムを吹きながら胸をそらしてジョンシーの部屋に入った。
ジョンシーは横になっていて、かすかに毛布が上下しており、窓のほうを向いていた。眠っているのだろうと思い、口笛をやめた。
スーは画板の準備をし、雑誌小説の挿絵にするペン画に取りかかった。若い画家は、若い作家が文学の道を切り開くために書く雑誌小説に挿絵を描くことで芸術の道を切り開く。
スーが優美な馬術大会の乗馬ズボンと片眼鏡を主人公であるアイダホのカウボーイに描いていると、低い音が数回聞こえた。スーはベッドのそばに飛んでいった。
ジョンシーが目を見開いていた。窓の外を眺め数えて…後ろから数えている。
「十二」と言って、少し置いて「十一」それから「十」「九」、そして「八」と「七」はほとんど同時に。
スーは気がかりに思って外を見た。何を数えているというのだろう?そこにはがらんとして、殺風景な庭が見えるだけで、レンガの家の何もない壁も十二フィート向こうだ。古い、古くて節くれだち根本が腐りかかった蔦が、何もない壁の中ほどまで這っていた。秋の冷たい息が葉をたたき落とし、骨のような枝はほとんど裸になって、崩れかかったレンガにしがみついていた。
「どうかしたの、ねえ?」スーは訊ねた。
「ろく」と言ったジョンシーの声はほとんど囁きだった。「落ちるのが早くなってる。三日前は百くらいあったのに。数えるのに頭が痛くなるくらいだった。けど今は簡単になっちゃった。ほら、また落ちてく。もう五つしかないわ」
「"五つ"って、なんのこと?教えてよ、スーディーにも」
「葉っぱよ。ツタの。最後の一つが落ちたとき、私もいくんだわ。三日前からわかってた。お医者さまもそう言わなかった?」
「もう、そんなばかげたこと聞いたことないよ」スーは、それは見事に笑い飛ばしてみせた。「年取った蔦の葉っぱがきみの健康に何をするっていうの?それにきみあの蔦好きだったでしょ、おばかさんだね。くだらないこと考えないで。いい、お医者さんは今朝きみがすぐに良くなる見込みは……ええっと、お医者さんの言ったとおりだと……十に一って言ってたんだよ!ねえ、それって私たちがニューヨークで電車に乗るか新しいビルの横を通るくらい、いい確率じゃん。ちょっとスープ飲んでさ、んでスーを絵に戻らせてよ、編集さんに売りに行けるようにさ、それから病気の女の子にポートワインと、はらぺこの自分にポークチョップを買うから」
「もうワインは買う必要ないわ」ジョンシーは言った、視線を窓の外に固定したまま。「ほらまた一枚。スープもいらない。葉っぱは四枚だけなのよ。暗くなる前に最後の一枚が落ちるのを見たいの。そしたら私も一緒にいくのよ」
「ジョンシー、ねえ、」スーはジョンシーの上に身をかがめ、「私の仕事が済むまで目を閉じてるって、それから窓の外を見ないって約束して?明日までにこの絵を出さなきゃいけないんだ。明かりが必要なんだよ、じゃなきゃブラインドを下ろすんだけど」
「ほかの部屋じゃ描けないの?」ジョンシーは冷たく言った。
「というより、きみのそばにいたいんだ」スーは言った。「それに、きみにばかばかしい蔦の葉なんか見ててほしくない」
「終わったらすぐ教えてね」ジョンシーは言って、目を閉じ、倒れた像のように真っ白な顔で横になった。「最後の一枚が落ちるのを見るんだから。待ってるの疲れちゃった。考えるのも疲れた。持ってるもの何もかも手放しちゃって、落っこちて、落っこちたいの、あの弱々しくってくたびれた葉っぱみたいにね」
「寝ようとしてちょうだい」スーは言った。「ベルマンを、年寄りの世捨て炭鉱夫のモデルになってもらうために呼んでこなきゃいけないんだ。一分もかからないから。戻るまで動かないでよ」
ベルマン爺さんは二人の下の一階に住んでいる絵描きだった。六十は過ぎていて、ミケランジェロのモーゼ像のようなあごひげがくるくるとサテュロスの頭から小鬼の身体に垂れ下がっている。ベルマンは芸術家の落ちこぼれだった。四十年筆を振り回してきたが、芸術の女神のローブの裾に触れられるほど近づいたことはない。ずっと最高の傑作を描きはじめようとしているが、いまだに始めたことはなかった。ここ数年はときたま商業や広告に下手な絵を描く以外何も描いていなかった。「芸術村」の、プロを雇えるほど金がない若い画家たちのモデルをしてわずかな銭を稼いでいた。ジンをがぶ飲みすると、いつか描く最高傑作について語り続けた。そのほかのときは、刺々しい、小柄で年のいった親父で、人の軟弱さをあざけり笑い、上階のアトリエの若い芸術家二人を護る強面で優秀な番犬のつもりでいた。
スーは、階下の薄暗いねぐらでネズの香りをぷんぷんさせているベルマンを見つけた。部屋の一角では、何も描かれていないキャンバスとイーゼルが二十五年の間最高傑作の最初の一筆を待っていた。彼女はベルマンにジョンシーの妄想について話し、そしてどんなにおびえているか、あの子は本当に一枚の葉のように軽くもろくなって飛んでいってしまうかもしれない、これ以上生にしがみつく力が弱くなったら、と訴えた。
ベルマン爺さんは、真っ赤な目からありありと涙を流し、お得意の侮蔑と嘲笑で彼女の愚にもつかない懸念を罵倒した。
「ハッ!」彼は吠えた。「この世のとこに葉っぱがくそいまいましい蔦がら落ちたから死ぬとかいうバカがいるんだ?そんなこと聞いたごどもないわ。いいや、モデルになってボーズなんかとらんぞ、あんたのバカで――世を捨ててて――ぐずな頭のためになんかな。何たってあの子のあだまにそんなとんまを吹き込んだんだ?ああ、がわいそうなちっぢゃなヨンシーちゃん」
「あの子はひどく具合が悪くて弱ってるんです」スーは言った。「それに熱で病んでておかしな妄想でいっぱいになってるんだ。 いいですよ、ベルマンさん、私のためにポーズをとりたくないっていうなら、しなくていいです。私があなたをいまいましい老いぼれの……老いぼれのこんちきしょうだって思うだけです」
「あんたもまるでそこいらの女だったわけだ!」とベルマンはわめいた。「誰がボーズをどらんと言った?とっとと行け。いっきょに行ってやる。もう三十分もボーズの準備はてきてるって言おうとしてだんだ。くぞったれ!ここはヨンシーちゃんみたいないい子が寝込むとこじゃないんだ。いつか最高傑作を描いでやるからな、そして出でいくぞ、ちぎしょう、そうとも!」
二人が上がっていったとき、ジョンシーは眠っていた。スーはブラインドを窓枠まで引き下ろし、ベルマンに向こうの部屋へ合図した。そこで二人は窓の外に目をやりおそるおそる蔦を見た。それからつかの間言葉もなく顔を見合わせた。頑迷で冷たい雨は降り続け、雪が入り交じっていた。くたびれた青いシャツを着たベルマンは、ひっくり返したヤカンを岩に見立て世を捨てた鉱夫のつもりになって座った。
一時間の眠りからスーが目を覚ました翌朝、ジョンシーはどろんとした目を大きく見開いて、下げられた緑のブラインドを見つめていた。
「上げて、見たいから」ジョンシーは命令した。かすれた声で。
スーはしぶしぶ従った。
けれども、見よ!打ちつける雨と荒れ狂う陣風の長い夜を耐え抜き、レンガの壁には一枚の蔦の葉がまだ頑張っていた。それがその蔦の一番最後のだった。茎は深い緑で、ぎざぎざしたふちは朽ちかけて黄色みがかって、果敢に二十フィートほどの高さのところにぶらさがっていた。
「あと一枚」ジョンシーが言った。「夜の間に落ちちゃうとばかり思ってた。風の音が聞こえたもの。きっと今日落ちるのね、そして私も同時に死ぬんだわ」
「ああもう!」スーは言って、やつれた顔を枕にうずめ、「私のことを考えてよ、自分のことを考えないんなら。どうしろっていうの?」
しかしジョンシーは答えなかった。世界で一番寂しいものは、神秘的でずっと遠くへの旅路につく準備をしている魂だ。妄想が彼女によりいっそう強く憑りつくにつれ、彼女を友情やこの世とつないでいる結び目が一つずつほどけていくようだった。
日がじわじわと過ぎ、黄昏に染まっても二人は孤独に残った蔦の葉が枝に貼りつき壁から離れまいとしているのを見ることができた。それから、夜の訪れとともに北風が再び解き放たれ、雨は窓を打ち続け低いオランダ風の軒からぼたぼた落ちた。
十分な明るさになったとき、ジョンシーという無情な人は、ブラインドを上げるように命じた。
蔦の葉は依然としてあった。
ジョンシーは横たわって長いこと見つめていた。それから、チキンスープをガスストーブにかけてかき混ぜていたスーを呼んだ。
「私悪い子だったわ、スーディー」ジョンシーは言った。「何かが最後の一枚を残して私がどんなにいけなかったか教えてくれたのね。死にたいだなんて本当に悪いことだったわ。スープをちょっぴり持ってきてよ、あとポートワインを垂らした牛乳と、あとは……ううん、まず鏡を持ってきてちょうだい、それから枕をいくつかまわりに詰めこんでちょうだい、そしたらちゃんと座ってあなたが料理してるのを見てるから」
一時間後、彼女は言った。
「スーディー、私いつかきっとナポリ湾を描くわよ」
医者は午後やってきて、スーは彼の帰りを呼び止めて玄関に出た。
「五分五分になりましたな」医者は言って、スーの痩せた、震える手を握った。
「ちゃんと看病すればあなたが勝つでしょう。これから下の階でもう一人診なきゃならなくてね。ベルマンといって……画家かなんかだと思いますがね。やっぱり肺炎で。年を取ってるし、体も弱ってて、進行が早いんですな。望みは薄いですが、今日病院に行って少し楽になるでしょう」
次の日医者はスーに言った。「危機は抜けましたな。あなたの勝ちですよ。今は栄養と看病、それだけです」
その午後スーはベッドを訪れ、横になって満足そうにとても真っ青でとても使い道のなさそうな毛織の肩掛けを編んでいるジョンシーに、枕も何もかもごと片方の腕を回した。
「言わなきゃいけないことがあるんだ、可愛いはつかねずみさん」彼女は言った。「ベルマンさんが肺炎で今日病院で亡くなった。罹ってからたった二日だったよ。管理人が最初の朝に下の自分の部屋で痛みで動けなくなっているのを見つけたんだ。靴と服はずぶぬれで氷のように冷たかった。誰もあんな恐ろしい夜に彼がどこにいたのか想像もできなかったよ。それからランタンを見つけた、点けっぱなしの、それから引っ張り出されたはしごと、散らばった絵筆と、緑と黄色の絵具が混ざったパレットと、それと……窓の外を見て、そう、壁の最後のツタの葉。あれが風が吹いてもそよぎも揺れもしなかったの、不思議に思わなかった?ああ、ジョンシー、あれがベルマンの最高傑作だったんだよ……彼が描いたんだ、最後の一枚が散った夜に」