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一九八〇年代半ばから活動しているアメリカのシンガーソングライターでありイラストレーター、ダニエル・ジョンストンの初期の代表曲「Living Life」は、「抱きしめて、ほんとうなら母さんがやってくれるように」という歌い出しがジョン・レノンの「マザー」を思わせる(「お母さん、ぼくはあなたのものだった/でもあなたは、ぼくのものではなかった」)。
じじつ、彼が音楽をはじめた大きなきっかけのひとつがビートルズで、バンドを讃える「Beatles」という曲も書いているが、彼が「Lennon Song」と自作曲にその名を冠して讃えたビートルはレノンただひとりだ。(しばしば恋と創作の)苦難と喜びを、日記を綴るように歌ったジョンストンにとって、ジョン・レノンは、自伝を歌にした先輩なのかもしれなかった。
レノンにしてもジョンストンにしても、歌詞が自伝的だからといってそのソングライターの人生のすべてを知ることが必須なわけではない。しかし、ジョンストンの来歴についてのほぼ唯一の本格的なドキュメンタリー映画である『悪魔とダニエル・ジョンストン』(ジェフ・フォイヤージーグ監督、二〇〇五年)は、興味ぶかい、意表をつくエピソードに満ちている。
一九六一年、ダニエル・ジョンストンはカリフォルニア州サクラメントに生まれた。両親は厳格なキリスト教徒で、そういう面での抑圧は強かった(ジョン・レノンは、そんな彼に「神はいない」(「イマジン」)と歌ったひとでもある)。彼には気になったことはなんでも録音してカセットに残す録音癖があったが、十代の頃の母親との口論も記録に残っていて、のちのアルバムの曲と曲のあいだに収録されている。
ロックンロールやポップミュージックに出会ってからは、自宅の地下にあるガレージで作品を作る日々がはじまる。最初のアルバムは一九八〇年、『Songs of Pain』という完全自主制作のテープだった。初期のテープ音源の声のトーンが微妙に高く、早いのは、テープの回転数を間違えていたからだといわれる。ダビングの方法を知らなかったから、その音楽を気に入ったひとたちにテープを求められると、地下室で始めから最後まで再演し、あらたに録音した。
そんなある日、当時の地元であったテキサス州オースティンを中心に注目されるきっかけになったのが、一九八五年、オースティンのライブハウスで歌うジョンストンをとりあげたMTVのワンコーナーだった。伸びほうだいのくせ毛で、ギターを抱えて「ぼくはこわれた夢のなかに生きている」と歌う二十代のジョンストンを見ることができる。
そうしたブレイクの兆しがありながら、彼は精神的な疾患のために入退院を繰り返し、奇行をくりかえすようになる。自家用飛行機で飛行中、イグニッション・キーを抜いて窓に放り投げて機体を墜落させたり(父親も乗っていたが、ふたりとも無事だった)、自由の女神に落書きして逮捕されたりした。映画の後半は、いかにして彼や彼の周囲のひとたちがその暗がりから抜け出すかを追っている。
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イラストレーターのリカルド・カボーロと作家のスコット・マクラナハンは、ふたりともダニエル・ジョンストンのファンであり、映画を撮ったジェフ・フォイヤージーグにつづいて、彼らはグラフィック・ノベルというジャンルで、ダニエル・ジョンストンの波乱に満ちた人生にオマージュを捧げようとする。
「気をつけろ:この本を読んではいけない。警告/このなかには悪魔がいる」というメッセージが書かれたページからはじまる『ダニエル・ジョンストンの呪い(THE INCANTATIONS OF DANIEL JOHNSTON)』もまた、ダニエル・ジョンストンの誕生から時系列に沿って話を継いでいく。
映画との違いは、ジョンストンの血のかよった内的な世界を、それを脅かす外圧(宗教的な慣習、ショービジネス等々)との関係のなかで捉える傾向が強いところだ。幼いダニエルは、キリスト教の協会で善きものと悪しきものについて、神と悪魔について学んだけれど、彼は「すでに自分の内側に世界があったことに気づいていなかった」、とマクラナハンは書いている。
キャスパーやキャプテン・アメリカなどのコミックに耽溺し、絵を描き、八ミリで映画を撮りはじめ、ビートルズの音楽と出会い、オルガンを弾きはじめるジョンストンを、どこかイラストレーターとしてのジョンストンの絵を思わせるタッチで、血と心臓、炎の赤いイメージとともに物語っていく。イコンやタロットカードのパロディのようにも見えるキリスト教のモチーフ(十字架、マリア、天使、悪魔)が、ダニエルの内的な世界のなかで歪んでいくようすを描写している。
しかし、度重なる精神の失調と、彼に関わった有名無名の人々が描かれるのを追っていくうち、どこかで聞いた話ばかりだ、と思う。いや、どこかで、ではなく、『悪魔とダニエル・ジョンストン』で聞いた話ばかりだ。ニュアンスの違いはあれ、個々のエピソードは、ほとんどが『悪魔とダニエル・ジョンストン』において明らかになったエピソードの引用に見えるのである。
この本はつまるところ、『悪魔とダニエル・ジョンストン』のコミカライズなのだろうか? そう思っていると、後半、カボーロとマクラナハンは、まさにその映画について語りはじめる。
『悪魔とダニエル・ジョンストン』は、彼のメジャーデビューアルバム『ファン』(一九九四年)が売れなかった、というイメージを、指ではじかれたように回転しながら小さくなっていき、あっさり画面の奥に消えるシークエンスで示していた。『ファン』は、初期の完全自主制作のアルバムが持っていた生々しさが、過剰なプロデュースによって損なわれた失敗作である、という捉え方は、いまやひとつの「神話」になっているのだ。そこで、マクラナハンはいう。
「ご存知のようにそれは『ファン』と呼ばれるアルバムで、失敗作だ。ダニエル・ジョンストンの神話が、それをひどいアルバムで、タイトルに反して楽しくもなんともないと言っている。でもそれは本当か? きみはほんとうにそれを聴いたのか?(…)ああ、ぼくたちはいかに当たり前のように他人の人生について書くことだろう。それを人は歴史と言うのだ」。映画を見たからといって、コミックを読んだからといって、わたしたちはダニエル・ジョンストンのなにを知っているのだろうか?
映画によって有名になった人間のひとりにちがいない、ダニエル・ジョンストンに解雇された元マネージャー――というのも、彼が提示した契約先のレーベルにメタリカがいて、メタリカが悪魔と通じていると信じたダニエルがそれを拒否したのである――ジェフ・タルタコフについて説明しながら、このグラフィック・ノベルは、文化、とりわけポップ・カルチャーについて、こう言い表す。
「ダニエルが投薬治療で我を失っているとき、マネージャーはダニエルを有名でクールな存在にしようとした、なぜならだれもひとのことをクールとは思わないからだ、べつのだれかがそのひとをクールだと言わないかぎりは。それが文化だ」
これがファンの仕事である。「呪文」とは、ダニエルに取り憑かれたが最後、真偽の分からないエピソードをだれかに話すことなしに彼の作品への愛着を伝えられなくなる、不自由な、伝染性の魔法のことではないか。そうしたエピソードはどこまでいっても「テキスト」にすぎず、シンガーそのひとにたどりつくことはない。彼や彼の作品は、ある意味でそんなエピソードと関係がないのだ。だが、ひとたび結びつけられると、エピソードと、彼と、彼の作品は、簡単に離れない。誰かの「クールさ」を一人歩きさせるファンの活動が、ここでは一歩距離を取ってとらえられている。
「有名なカルト」たるジョンストンについての本書にはファンジンの趣がある。ノンブルも手書きのプリントだ。そういうところで、ファンとしての情熱があらわになっている。だが、読み進めているとたびたび、その語りの勢いに自分で水を差すようなフレーズにも出会う。これは、ソングライターや彼の経験そのものである作品と、ファンがまことしやかに語って伝染させる物語との断絶が、気になってしょうがないファンがつくったコミックなのだ。カボーロとマクラナハンは、ポップ・カルチャーという、実体の定かでない物語に取り憑かれるファンのあり方を、しらふで問いかけている。
ファンは、読み終えたら、ダニエル・ジョンストンの音楽に戻るだろう。ほかにどうしようもないからだ。「Peek A Boo」は、ダニエル・ジョンストンらしい、ぽろぽろとこぼれるような鍵盤の音が印象的な一曲で、初期の音源をあつめた入門編のアンソロジー、『Welcome to My World』の一曲目になっている。
どの曲でも聴けばいい
楽しく過ごして出て行けば
きみはそれですむよな
ぼくはそうはいかない
この曲を一生、生きなくてはいけない
ぼくの助けを求める叫びをきいてくれ
ぼくをぼく自身から救ってくれ