月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
御者というものは、独特なものの見方を持っている。ひとつのことしか考えていないそのさまは、どんな職業の者にも勝るだろう。高く、揺れる馬車の座席から御者は人々を見下ろす。彼の目に人々はただの漂うものにしか見えていない。どこからに行きたいと思っている、つまり客になる人々以外は。御者は聖書に出てくる王のエヒウであり、乗客はただの荷物だ。大統領だろうが浮浪者だろうが、御者にとってはただの乗客にすぎない。御者は客を乗せ、鞭を打ち、客の背を揺らし、そして馬車から降ろすだけだ。
支払い時に正しい料金を払えば、その客は侮蔑とは何なのかを知るだろう。もし財布を忘れてきたとなれば、ダンテの地獄の描写は生ぬるかったと気付かされるだろう。
ありえない考えではない。御者の目的のためのひたむきさと偏屈な人生観は、ハンサム型馬車特有の構造の結果なのかもしれない。御者はお高い専用の座席に座って不可侵の神であるかのように、乗客の運命を気まぐれな日本の革紐で握っている。乗客は無力に、滑稽に、窮屈に、まるで玩具のように揺らされている。罠にかかったネズミのようだ。固い大地の上では執事にかしずかれているが、動く棺の中では、弱々しい願いを聞いてもらうために狭い隙間を通して天に向かってチュウチュウと鳴くしかない。
馬車の中では客は乗客ですらなく、ただの荷物だ。客は船の積荷と同じであり、高い場所に鎮座している御者様は海の底の魔物、デイビー・ジョーンズの住所を心得ているのだ。
ある晩、どんちゃん騒ぎの音がマッゲリー・ファミリーカフェの隣の隣、大きなレンガ造りの安アパートから聞こえてきた。その音はどうやらウォルシュ家一家の部屋から聞こえてくるらしい。歩道は隣近所の人々でごった返していたが、時々急いで婚礼のお祝いや宴会の品々を運ぶ配達人に道を空けてやっていた。歩道にいる連中は噂話や議論に夢中になっていたが、ノラ・ウォルシュの結婚という話題をやめようとはしなかった。
宴もたけなわになって、浮かれ騒いでいる人々が歩道に溢れ出てきた。招待されなかった人々も寄ってきて一緒になり、夜の空気には祝いの言葉や笑い声や訳のわからない叫び声が響き渡った。これはマッゲリーの結婚式のプレゼントのおかげだった。
縁石のすぐそばにジェリー・オドノヴァンの辻馬車が止まっていた。ぼったくりの夜鷹とジェリーは呼ばれていたが、その手の他の馬車とは違い彼の馬車は輝いていて清潔感もあり、手編みのレースをまとった貴婦人やスミレを胸に刺した紳士のような都会の金持ちにも扉を閉ざすことはなかった。それからジェリーの馬! 控えめに言ってもこの馬は麦をたらふく食べていて、家の皿洗いを途中で放り投げて郵便配達人を捕まえようと一生懸命になっている老婦人たちも、この馬を見たら微笑んだほどだった。
動き、ざわめき、脈動する人ごみの中でちらりと見えるのは、長年風雨にさらされ続けたジェリーのシルクハットだ。それから、浮かれ騒ぐ金持ちの息子たちや反抗的な乗客たちに叩かれてニンジンのようになった鼻。マッゲリーの近所で評判の良かった真鍮のボタンのついた緑色のコート。明らかにジェリーは物を運ぶという馬車の役目を奪って、重い荷物を自分が運んでいるかのように酔ってフラフラとしていた。この言葉遊びを更に続ければ、彼は完成した人間だといえるかもしれない。もし「ジェリーは酔って完全にできあがっていた」という若い目撃者の証言を信じるならば、だが。
通りの人だかりのどこからか、歩いて行く人の流れのどこからか、若い女性が軽快な足取りで歩いてきて馬車のそばに立ち止まった。ジェリーのプロの御者の鷹の目は、その動きを見逃さなかった。彼は馬車の方によろけながら数人の見物人を横倒して、自らも仰向けになりーーいや! 消火栓の蓋につかまって何とか踏ん張った。まるで突風が吹いて縄はしごを素早くのぼる船乗りのように、ジェリーは御者席に登った。一度そこに座ると、マッゲリーの酒による酔いはどこかへ消えた。修理工が船のマストに三角の帆の旗竿を取り付けるように、危なげなく馬車の後ろで安全に揺れていた。
「どうぞ、お嬢さん」とジェリーは手綱を手繰り寄せながら言った。
若い女性は馬車に乗ってバタンと扉を閉め、ジェリーの鞭がピシリと空気を打った。道沿いの人々は散らばり、立派なハンサム型馬車は街を駆けて行った。
麦でお腹いっぱいの馬がスピードを少し落とした時、ジェリーは馬車の蓋を開けて小窓を通して、壊れた携帯から聞こえてくるような声で、できるだけ優しく言った。
「どこに、これから、行きましょうかねぇ?」
「どこでもいいわよ」とリズミカルで楽しそうな返事が返ってきた。
「彼女は遊びたいんだな」とジェリーは考えた。そして当然のように提案した。
「公園の周りを回ってみるのはどうですかね、お嬢さん。上品で素敵でいいと思いますよ」
「おまかせするわ」客は満足そうに返した。
馬車は五番街に向かい、スピードを上げた。ジェリーは座席の上で飛び跳ね滑った。マッゲリーのよく効く酒は心をかき乱し、新たな靄を彼の脳内に作り出した。彼は昔の歌を歌い出し、鞭をバトンのように振り回した。
馬車の中、乗客はクッションの上にまっすぐ座り、右や左をきょろきょろと見回して灯りや家を見ていた。暗い馬車の中でも、彼女の瞳は夜明け前の星たちのように輝いていた。
五十九丁目めにたどり着いた頃、ジェリーの頭は上下に揺れて手綱はだらりとたるんでいた。しかし彼の馬は公園のゲートを通り過ぎ、いつもの夜の出番が始まろうとしていた。客は体をそらして息を大きく吸い、済んで体によさそうな、芝生や葉っぱや花の香りを吸い込んだ。そして御者席の、自分のなわばりを知っている賢い獣は、体に染み付いた時間の感覚で道の右側を進み続けていた。
いつもやっているおかげで、ジェリーは押し寄せる眠気に抗ってなんtのかこなした。彼は嵐に揺られた船のハッチを上げ、公園で御者おなじみの質問をした。
「カジノで泊まりやしょうか? なにか飲みながら音楽でも聴いてさ。みんなそうしやすよ」
「それはいいわね」と乗客は答えた。
馬車はカジノの入り口に突っ込むようにガクッと止まった。馬車のドアがぱっと開き、乗客はそのままフロアに降り立った。たちまち彼女は魅惑的な音楽の網に絡み取られ、光や色彩のパノラマに幻惑された。誰かが彼女の手に小さな四角いカードを滑り込ませた。そこには三十四という数字が印字されていた。辺りを見渡すと、乗ってきた馬車がもう二十ヤードも離れた場所でたくさんの四輪馬車や辻馬車や自動車の中にまみれて並んでいた。そしてピッシリしたシャツが目立つ男性が彼女の目の前で踊るようにして後ろ側にまわり、彼女はジャスミンの蔦が巻きついた手すりのそばの小さなテーブルに座った。
何かを買わなくてはいけないような暗黙の雰囲気が感じられるようで、彼女は薄い財布の中にある小銭たちと相談して、一杯のビールを注文する許可を得た。腰掛けると一気に吸い込んだーー魔法の森の妖精の宮殿の、未知の色彩と、未知の形をした生命を。
五十ものテーブルに座っていた王子や女王たちは、世界中のありとあらゆるシルクや宝石を身にまとっていた。時々物珍しげにジェリーの客を眺めていたが、その目に映るのは地味な姿だった。「フラール織」というフランス語で飾られた薄い布を身にまとい、地味ではあるが愛に溢れた表情をしており、それが女王たちには羨ましかった。
二度ほど時計の長い針が回ると、王家の者たちは社交界の王座からまばらに去って行った。ガヤガヤとおしゃべりしながら、立派なお国の車に乗ってガタガタと音を立てて去って行った。楽器は木製の箱や皮袋やケースにしまわれた。ウェイターは当てつけのようにクロスを片付け、その傍らには地味な姿の彼女がほぼ一人で座っていた。
ジェリーの客は立ち上がり、番号札を気取らずに差し出した。
「この札で何かいただけるのかしら?」と彼女は尋ねた。
ウェイターは彼女に、その札は馬車の番号札であって、入り口の男にそれを渡すように言った。入り口の男がそれを受け取って番号を呼んだ。そこにはたった三台の馬車しか並んでおらず、御者の一人が中で寝ていたジェリーを叩き起こした。彼はさんざん毒づいてから、彼の船に上がり桟橋まで船の舵を取った。客が乗り込むと、馬車は公園の奥の涼しい場所を駆け、家への近道を進んだ。
門についた時、かすかな理性が突然疑惑の形をとってジェリーのぼんやりとした頭に浮かんだ。一つ、二つばかりの疑いが。彼は馬を止めて小窓を開くと、蓄音機のようにガラガラした声を船の重りのように、その隙間から落とし入れた。
「これ以上進む前に四ドル見せていただけませんかね。カネは持ってますよね?」
「四ドルですって!」と客は優しく笑った。「ふふふ、いえ。二、三ペニーと十セントを一、二枚しか持ってないわ」
ジェリーは小窓を閉じ、麦で腹一杯の馬を鞭打った。カタカタと鳴る蹄の音は、下品な言葉を吐く彼の声を抑えはしたものの、打ち消すことまでは出来なかった。彼は悪態を、星空に向かって激しくわめき立てた。車や荷馬車が通りかかると、激しく鞭で打ち付けた。また、たくさんの凄まじい罵詈雑言を通り中に連発したので、後ろの車の運転手はのろのろと家へ向かっていたのだが、それを聞いて困惑するほどだった。しかし彼は頼れる場所を知っていたので、そこへ向けて全速力で進んでいった。
緑色のライトのついた建物の階段のそばで、彼は馬を止めた。馬車の扉を乱暴に開け放ち、どしりと地面に転がり出た。
「さあ、来るんだ」彼は乱暴に言った。
乗客は、カジノでの夢のような微笑みをその地味な顔に浮かべたままだった。ジェリーは彼女の腕を掴んで警察に連れて行った。灰色のヒゲの巡査部長は机の向こうから鋭く一瞥した。御者とは顔見知りの間柄だった。
「巡査部長さん」ジェリーはしわがれた、騒々しく、不満たらたらな声で話し始めた。「客を連れてきたんですがね、こいつが…」
ジェリーはそこで口をつぐんだ。節くれだった赤い手で額をぬぐった。マッゲリーの酒による靄が、晴れ始めていた。
「乗客をですね、巡査部長さん」彼は続けて、笑みを浮かべた。「あんたに紹介したかったんですよ。こいつは俺の妻でね、今晩ウォルシュ爺さんのところで結婚したんです。ひどい目にあってきましたよ。部長さんと握手しな、ノラ。そしたら家に帰ろう」
馬車に乗り込む前に、ノラは深く息をついた。
「とっても素敵な時間だったわ、ジェリー」と彼女は言った。