月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
「翻訳」が話題になると、きまって、「lost in translation」という言葉が引き合いにだされる。異文化をまるごと正しく移し替えるのは無理で、かならずなにかが失われてしまう、といった意味で理解されている。『翻訳できない世界のことば』なる邦題で出ているエラ・フランシス・サンダースの絵本は、邦題どおりのおもしろくて楽しい中身だが、原題は『Lost in Translation』。
また、「lost」には「迷子になる」という意味もあるが、アメリカから新宿にやってきたアメリカ人の俳優が東京という異文化のなかでおろおろしてしまう姿をコミカルに描いたソフィア・コッポラの映画は『ロスト・イン・トランスレーション』というタイトルだった。
この言葉、出典はアメリカの詩人のロバート・フロストである。1959年、詩人たちが集まったシンポジウムでフロストがこう発言した。「I could define poetry this way : it is what is lost out of both prose and verse in translation.
」(詩はつぎのように定義できる、つまり、翻訳されると散文からも韻文からも失われるもの、それが詩だ、と)
そしてフロストのこの言葉は、やがて、「Poetry is what is lost in translation.」
とか「Poetry is what gets lost in translation.」という言葉になって長くつかわれるようになり、こっちのほうが、もとの発言よりもポピュラーになっている。
「詩とは翻訳において失われるもののことである。」
はて、どういう意味か。詩は翻訳できないということか。翻訳できないのが詩だということか。考えれば考えるほどに、わからなくなる発言である。
フロストのこの言葉には、翻訳者だけではなく、詩人たちや作家たちもこれまでさまざまに反応してきた。
以下に紹介するのは、ボスニア出身のアメリカ在住の作家アレクサンダル・ヘモンによる考察で、痛烈なフロスト批判である。アメリカの詩の雑誌「Poetry」が2006年4月号で翻訳を特集したさい、ヘモンは、おなじくボスニア出身でアメリカ在住の詩人セメズディン・メヒメディノヴィッチの詩を翻訳したのだが、その「訳者覚え書き」だ。
ヘモンの、時代に振り回された、ある意味、数奇な人生もすこぶる興味深い。それについては、「書評、世界の本棚から」を参照してください。(青山南)