月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
警官の目に留まったのは、半ブロックほど先で路面馬車をつかまえようとして追いかける男だった。警官も警棒を抜いて、その追いかけっこに加わった。ソープィーはうんざりした気分で、とぼとぼと歩きだした。またしても失敗だ。『警官と讃美歌』
当時、レール上の客車を馬が牽く”horsecar”が走っていた。1880年代半には、全米で、415社が総延長6000マイル(地球円周の4分の1)を営業し、年に1億8800万人を運ぶほど発達していた。
六番街を走っていたhorsecarは、マーク・トウェインが編集者に充てた手紙にも登場する。
「今朝11時45分、六番街の42丁目で、六番街線の赤いhorse car――106号――に乗った。ダウンタウン行きだ。もちろん座席はない。ここでは、そんなもの存在したことすらない。なぜなら、ニューヨーカーたちは座席を必要としないのだ。立っていることさえ許してもらえればいい。我慢強く、horse car会社がいい敷物を敷いてくれたことに感謝さえして、乗っている」(1890年、Mark Twain on Potholes and Politics: Letters to the Editor, p.159)
また、当時の六番街には高架鉄道が走っていた(『振り子』時代背景参照)。しかし、ソープィーがショーウィンドウを割った現場が26丁目だとすると、近くの駅は23丁目、28丁目で、追いかけて飛び乗るには遠い。
自動車は、まだ珍しかった。
OEDによると、”car”は元々、「馬車、馬が牽く車」という意味で14世紀初めに英語に登場した。この語義は、1920年代まで一般的に使われた。「鉄道の車両」という語義は、19世紀初めから現在まで使われている。
「自動車」という意味で初めて使われたのは1896年。本作が発表された1904年では、まだ一般的でなかっただろう。
(有好宏文)
▽参考文献
・“Mark Twain on Potholes and Politics: Letters to the Editor”
・“New York Then and Now”