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木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
兎にも角にも、ラグルズは詩人だった。いわゆる放浪者である。だがこの言い方では彼が哲学者であり、芸術家であり、旅行家であり、博物学者であり、発見家であるという点が抜け落ちてしまっている。しかし何よりもまず彼は詩人だった。これまでの人生でラグルズは詩を一行たりとも書いたことがなかった。詩の世界に生きているからだ。彼の [1]オデュッセイアは戯れ歌になっていたに違いない、もし書いていれば、の話だが。それでも最初にお断りした通り、ラグルズは詩人なのだ。
ラグルズの専門は、もしインクとペンを握らされたのなら、街にまつわる叙情詩ということになっただろう。ラグルズは街をじっくりと観察した。女が鏡に映る自分の姿を観察するように。子供が腕の取れた人形の糊とおがくずを観察するように。そして野生動物の執筆をする男が動物園のケージを観察するように。ラグルズにとって、街というのは単に煉瓦とモルタルの堆積物でも、一定数の人間が住んでいるところでもなかった。それは個性的で、明確な心を持っていた。それは一つ一つの生命の集合体であり、独特な本質、雰囲気と感情を持ち合わせていた。二千マイルを北へ南へ、東へ西へとラグルズは詩への情熱に動かされるままに街中を放浪し、胸に受け止めていった。砂埃舞う道を歩き、時には貨車に乗って豪快に移動して、気の赴くままに過ごした。そして街の心なるものを見つけ秘密の告白を聞くと、ふらりと、休む間もなく次に向かうのだった。なんて気まぐれなラグルズ!――だがもしかしたら豊かすぎる想像力のおめがねに適う自治体に出会えていなかったのかもしれない。
古代から現代に至るまで、詩人によって街は女性的であるとされてきた。それは詩人ラグルズも例外ではない。ラグルズの抱く具体的ではっきりとしたイメージは、象徴的かつ典型的に、彼が口説いてきた街一つ一つを表していた。
[2]シカゴはまるで [3]ミセス・パーティントンのように陽気で、頭には羽根を飾り、香水を漂わせながらふいにその姿を上空から現し、声高らかに美しい未来を約束する歌を歌ってラグルズの休息の邪魔をするかのようだった。だがラグルズは目を覚ますたび、震えてしまうほどの寒さと、諦められない理想への思いが混じった、気が滅入るようなじゃがいもと魚料理に我に返ったのだった。
これがラグルズの、シカゴから受けた印象であった。もしかしたらこの文章には曖昧で不正確な点があるかもしれない。だがそれはラグルズの責任だ。思ったことを詩にして小雑誌の文芸欄に残しておくべきだったのだ。
[4]ピッツバーグは印象的だった。「オセロ」の劇のロシア語版を、鉄道駅で [5]ドッグスタッダーが黒人に扮して演じたようなものだった。超一流で気前の良い淑女のようなピッツバーグだったが、一方で垢抜けずいやに元気があった。そして顔を火照らせ、シルクのドレスに白い子ヤギの高級革製スリッパという格好で皿を洗い、ラグルズには燃え立つ暖炉の前に座って豚足やじゃがいもと一緒にシャンパンを飲むよう勧めるのだった。
[6]ニューオーリーンズはただバルコニーからラグルズを見下ろしているだけだった。その瞳に哀愁に満ちたきらめきを見て取り、彼女がはためかせる扇子から風を感じた、それだけの街だった。たった一度だけ顔を合わせたことがあった。夜明けのことで、彼女は赤いレンガ道をバケツの水で流していた。上機嫌でシャンソンを口ずさみ、それからラグルズの靴を冷水で水浸しにしてしまった。あらまあ、なんていうこと!
[7]ボストンは詩人ラグルズにとっぴで風変わりな方法で自己紹介した。冷めきった紅茶を飲んでいるような心地だったし、この街は白くて冷たい布きれに思えた。それをラグルズの額にきつく縛りつけられ、ただ途方もないということだけは分かるような精神的努力をうながされている気分だった。そして結局、雪掻きで生計を立てることになった。布きれは湿ったせいで結び目がきつくなり、取れなくなってしまった。
曖昧で訳の分からない考えだ、と言いたくもなるだろう。だが非難したい気持ちをぐっと堪えて、ありがたく思ってほしい。なぜならこれらは詩人の空想なのだから――たった今、詩を読んでいる最中に出会ったものだと思ってほしい!
ある日ラグルズは偉大な街[8]マンハッタンの心を口説こうとやって来た。彼女はとりわけ素晴らしかった。だからこそラグルズは彼女が一体音階のどの音なのか知りたがった。そして吟味、評価、分類、解明という手順でレッテルを貼った上で、諦めてラグルズに自らの秘密を明かした他の街たちと一緒に整理したがった。さて、ここで私たちはラグルズの解説者をやめて記録係に徹することにしよう。
ラグルズはある朝フェリーボートから降り立つと、街の中心へと向かった。そこにはコスモポリタン達の無感動な空気が流れていた。ラグルズはそれらしく見えるように着替え、「正体不明者」役を演じた。 いかなる国、人種、階級、派閥、組合、政党、そしてボーリング協会さえも彼を承認できなかっただろう。服は、背丈こそ違えど心の大きさは変わらない市民からの寄付による寄せ集めだったが、それでも彼の体にはましな方だった。衣服のお手本のような、自ら採寸したものを大陸の向こう側の仕立屋がスーツケースを手に、サスペンダーにシルクのハンカチ、ボタンは報酬にもらった真珠という出で立ちで、汽車に乗ってわざわざ届けにきたものよりは。
無一文で――詩人はそういうものだ――けれども熱心に、天文学者が新しい星を銀河の合唱団の中から見つけるように、男が突然万年筆から漏れ出すインクを見つめるように、ラグルズはこの素晴らしい街へと歩いていった。
午後も遅い時間、ラグルズは轟音と喧騒の中から抜け出してきたが、その顔には言葉を失うほどの恐怖が浮かんでいた。彼はただただ混乱し、おびえた。他の街は読みやすい大きな活字だった。あるいは何を考えているか顔に出やすい田舎娘、定期購読申込書に付いてくる簡単な絵解き文字、または飲み込みやすいオイスターカクテルのようなものだった。だがここは冷たく、きらびやかで落ち着いた、手に届かない街だった。ちょうど、ショーケースに入った4カラットのダイアモンドを外から見つめる一人の恋人がポケットに指を突っ込んで、リボン売り場で稼いだわずかな給料を湿るほど握り締めているようだった。
ほかの街の挨拶ぶりをラグルズは知っていた―飾らない優しさ、人間味のある押しつけがましい慈善の全て、親しみの籠った悪態、おしゃべりな好奇心、単純なのか無関心なのか見ればすぐに分かってしまうところ。このマンハッタンという街は何の手がかりも寄越さなかった。壁を作り彼を拒んだ。硬い石の流れる川のように、道で会ってもさっさとラグルズの前を通り過ぎていく。一瞥することもなければ、ましてラグルズに声を掛けるなどありえなかった。ラグルズは恋しかった。ピッツバーグが煤まみれの手で肩をたたいてきたこと。シカゴは威圧的ではあったけれど社交的で、ラグルズの耳元でしゃべくっていたこと。ボストンメガネ越しの青白く慈悲に満ちた眼差し―そしてルイビルやセントルイスが悪気なく突然先の尖ったウエスタンブーツで蹴ってきたことすらも。
ブロードウェイでは、これまで何度も街への求婚を成功させてきたラグルズが、突っ立ったままもじもじしていた。田舎出の男の子みたいに。初めて無視されるという強烈な屈辱を味わった。輝きを放ちながら、目まぐるしく変化する氷のように冷たいこの街をなんとか自分の方程式に当てはめようとしたが、大失敗に終わった。ラグルズは詩人のはずだが、鮮やかな明喩や、比較の対象になるものが見つからない。磨かれた面には傷一つないし、持ち上げて姿や構造を眺められるような取っ手はどこにもない。今まで親しみを込め、時には見下したりしながら、この方法で別の街を相手にしていたのだったが。ここの家々は防衛用の銃眼を備えた果てしなく続く城壁だった。人々は陽気そうだが血の通っていない亡霊で、意地悪く自分勝手に列を成して過ぎ去っていった。
ラグルズの心に重くのしかかり、詩心を狂わせたのは、完璧なまでのエゴイズムの精神だった。人のエゴでまみれた姿は、まるでペンキまみれのおもちゃのようだった。彼の眼にはどの人間も不快極まりない、高慢で自惚れの怪物に見えた。人間味のかけらもない。歩きまわっている彫像は石の表面をニスで塗り固めただけのものでしかない。自らを崇めたてまつり、仲間の像にも同じことを望むわりに気にする素振りを見せない。冷淡で、残酷で、容赦せず、無神経だった。同じ行動様式に切り揃えられ、早足で目的地に向かう姿はさながら彫像がなんらかの奇跡によって動いているようで、一方魂と感情は固い大理石の彫像の中で目を覚ますことがないかのようだった。
次第にラグルズはいくつかのタイプがあることに気付き始めた。一つは年老いた紳士で、雪のように白くて短いあごひげを蓄え、血色のいいピンク色をした皺のない顔、感情のない鋭く青い目、服装は派手な青年風だった。この街の豊かさ、成熟度、冷めきった無関心を具現化したようなタイプである。別のタイプは女性だった。背は高く、美人で、肌はスチール板ように艶やかな女神そのものだった。無表情で、昔のお姫様のように着飾り、瞳の冷たい青色は氷河を照らす陽光の反射だった。そしてもう一つはこの操り人形たちの街にもれなく付いてきたオマケである―あけすけで、ふんぞり返って歩き、凶暴で、気味が悪いほど落ち着いている奴だった。さっぱりとした頬は刈入れ後の小麦畑のように広く、顔色は洗礼を受けたばかりの赤ん坊、指の付け根はプロボクサーのようだった。このタイプはたばこの看板に寄りかかり、冷たく傲慢な態度でこの世界を見つめていた。
詩人というのは敏感な生き物で、ラグルズは解釈不能なこの寒々とした街に抱きしめられると途端に縮こまってしまった。冷気のなか、不可解で皮肉めいた、解読もできない、不自然で冷酷な街の表情を見ていると残るのは落胆と困惑だけだった。心というものがないのか? 材木の山も、酸っぱい顔をした主婦の裏口でのお説教も、片田舎の軽食サービスカウンターに立つバーテンダーの優しい不機嫌顔や、愛想のある喧嘩っ早い田舎の警官の蹴りと逮捕、他の下品でやかましくて失礼な街も、この凍りつくほど冷酷な街に比べたらましだった。
ラグルズは勇気を振り絞って大衆に施しを求めた。全く気にも留めず、目配せもせずに通り過ぎて行ったが、それが彼の存在に気付いていない何よりの証拠だった。それからラグルズは自分に言い聞かせた。この開かれてはいるが無情なマンハッタンという街には心がないのだと。ここの住人達は針金とバネで動くマネキン、自分は広大な荒れ地に一人ぼっちなのだと。
ラグルズは道を渡りはじめた。するとクラクション音、轟音、摩擦音、それから衝突音がした。何かとぶつかり、元いた場所から六ヤード先まで投げ飛ばされた。まるでラグルズがロケット花火の棒切れのように地上に落ちた拍子に、すべての街は砕け散った夢と化してしまったかのようだった。
ラグルズは目を開けた。まず香りが鼻をくすぐった―春の初めに咲いた楽園の花の香り。それから舞い散る花びらのように柔らかい手がラグルズの額にふれた。彼の上にかがみこんでいるのは、あの昔のお姫様のような恰好をした女性だった。目は青く、今は人間的な思いやりに満ち、温和で暖かかった。歩道に横たわる頭の下には、シルクと毛皮があった。ラグルズの帽子を手に、顔をひどくピンクにして無謀な運転に説教を猛烈にぶちまけて立っていたのは、街の豊かさと成熟を体現した例の老紳士だった。近くのカフェから急いで出てきたのは、広い顎と赤ん坊の肌をしたオマケで、嬉しいことを予感させる赤い液体が並々入ったグラスを持ってきた。
「コイツを飲みな、お前さん」オマケはそう言って、グラスをラグルズの唇に付けた。
何百人という人だかりがあっという間にできた。皆ひどく心配そうな顔つきだった。二人の優しくて立派そうな警官が輪の中に入り、心優しい[9]サマリア人の山を押し戻した。黒いショールを羽織った老婦人が強心剤を、と叫んでいた。新聞売りの少年がそのうちの一枚をラグルズの肘の下に滑り込ませ、ぬかるむ歩道の上に敷いた。きびきびとした青年がノートを手に名前を聞き回っていた。
ベルが仰々しく鳴り、救急車が人混みをかき分け入ってきた。外科医が冷静に騒ぎの最中に駆け込んでくる。
「ご気分はいかがです?」外科医は尋ねると、すぐに腰をかがめ仕事に取りかかった。シルクとサテンのお姫様は血を一滴二滴、ラグルズの額から香りの良いレースで拭き取った。
「俺かい?」ラグルズは満面の笑みで言った。「問題ないよ」
彼は新しい街の心を見つけた。
三日のうちに、入院中のラグルズは回復期患者用の病室に移された。そうして一時間も経たないうちに看護婦たちはなにやら騒ぎを聞きつけた。事情を聴くと、ラグルズが同室の患者に殴り掛かり傷を負わせていた―ご立腹のこの患者は貨物列車にぶつかり病院送りになった浮浪人だった。
「一体これは何事です?」看護婦長が尋ねた。
「あいつがおらの街をけなしやがったんでね」とラグルズは答えた。
「どの街です?」婦長が聞く。
「ヌゥーヨークさ」ラグルズはニューヨーク訛りで言った。
[1] 古代ギリシャの長編叙事詩。ホメロス作と言われる。トロイア戦争終結後、帰国するオッデュッセウスの十年に渡る海上での放浪記と、不在中に妃ペネロペに求婚した男への報復の物語。
[2] イリノイ州北東部ミシガン湖畔に位置する。大陸性気候で、気温の年較差が激しく、ミシガン湖からは季節風が吹きつける。一八七一年のシカゴ大火以後、都市計画の下で高層ビルの建設ラッシュが始まる。その後目覚ましい復興を遂げ、一八九三年シカゴ万国博覧会を開催するに至った。
[3] 童話に登場する架空の人物。モップで高潮を掃き返すという逸話から転じて、無駄なことに精を出す人を指す。
[4] アメリカ東部、ペンシルヴァニア州南西部にある国内屈指の鉄鋼都市。十九世紀以降炭鉱産業が発展するとそれに伴い労働者が流入、特に一九〇〇年からの十年間で人口が爆発的に増加した。
[5] ミンストレル・ショーで有名な役者。ミンストレル・ショーとは一八四〇年代から八〇年代かけて人気のあった大衆演劇。白人が顔を黒く塗り、黒人に扮するのが特色。
[6] ルイジアナ州南部の都市。かつては仏領であり、ニューオーリーンズは仏語で「新しいオルレアン」の意。フレンチクオーターと呼ばれる地区には鉄細工で飾られたバルコニーに平らな屋根という歴史的建築物が並ぶ。
[7] アメリカ北東部、マサチューセッツ州の州都。数多くの著名教育機関があることから「アメリカのアテネ」とも呼ばれる。毛織物、綿織物の一大産地。
[8] ニューヨーク市中心部に位置する島。商業・金融・芸術・文化の世界的中心地。冬は冷え込みが厳しく、日中も氷点下である。
[9] パレスチナのサマリア地方の民。新約聖書の「善きサマリア人」のたとえに登場し、そこから転じて哀れみ深い親切な人を指すようになった。