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ニューヨークに来て2週間が経っていたが、この街は奇妙で驚異的で孤独に思えた。夏の空気はむしむしと暑かった。午後遅い時間だった。人でごった返す歩道、破裂した風船サイズのホールターとショーツを着てユニオン・スクエアのまわりに立つ女の子たち、サルサが鳴り響く電器店、パパイヤ・キングとそのウィンドーに積み重ねられたマンゴーとバナナ、そうしたすべてが14丁目の通りを熱帯地方の都市の街路のように、カリブ海か南米のどこかのように思わせた(…)
時代は1970年代中頃、西部ネバダ州リノからやって来た20代前半のリノ(というニックネームで呼ばれる)は、ニューヨークの街をこのように表現する。風景、音、におい、空気感を鮮やかに浮かび上がらせると同時に、米国東海岸からカリブ海、南米への飛躍が不思議なスパイスとなり、読者を小説の世界へ誘い込む。
レイチェル・クシュナー『火炎放射(The Flamethrowers)』の大きな魅力の一つは、このような見事な描写にある。
先の引用文のあと、リノは「ひとたび馴染むと、14丁目は決してそんなふうに見えなくなった」という。ひとりぼっちで新しい生活をはじめた彼女も、やがて友達をつくり、街に溶け込む。はじめのうちこそ、かつて思いを寄せた学校の友達のことが頭から離れないが、ほどなく、別の男性に惹かれはじめる。
これは物語の序盤、第4章の内容だが、だれしも身に覚えがあるだろう若い時分の経験が、印象深いエピソードとウィットに富んだ会話とともに語られ、この章だけでも完成度の高い短編小説として読めそうだ。
だが、『火炎放射』のテーマはそれだけではない。この小説を特徴づけるのは、主人公リノのスピードとアートへの興味である。14歳のときからバイクに乗る彼女は、女性の世界最速記録を樹立する。一方、地元ではアートスクールに通い、ニューヨークでも映像作品の制作に取り組んでいる。
そして、その二つの要素を結び付けるのが、サンドロ・ヴァレラという男性の存在である。彼はニューヨークで活動する30代のアーティストだが、イタリアの大手バイクメーカー「モト・ヴァレラ」の創業者の息子でもある。リノは年上の彼と交際をはじめる。
サンドロを通じて、リノはさまざまなパーティーに参加し、ニューヨークのアーティストたちと知り合っていく。個性的な人物が数多く登場するが、なかでもサンドロの親友ロニーは印象的だ(実はリノがニューヨークで初めて一夜をともにする相手だが、そのときはお互いに名前を明かさず、のちにサンドロの紹介で再会する)。「今生きているすべての人を写真に撮りたい」と宣言する彼は、「刑務所に入ってから、(ブッカー・T&ザ・MG’Sの)「グリーン・オニオン」が頭から離れなくなった」など、嘘か本当かわからない小話を饒舌に語って聞かせる。
ニューヨークの1970年代は、犯罪が増加した時代であると同時に、アーティストが盛んに活動した時代でもあった。それはある意味で裏表の関係であり、ともに政治と切り離すことができない。1966年にはアーティストたちによるアナーキスト組織「マザーファッカーズ」が誕生したが、『火炎放射』にはその元メンバーが登場し、組織のテロ行為についても細かく語られる。
一方、サンドロの故郷イタリアでは「赤い旅団」が組織されている。彼の家族が営むモト・ヴァレラは、そのテロ行為の標的となる。
この小説の面白いところは、そうした同時代の芸術・政治運動にくわえて、過去の運動についても言及がなされる点である。ときおり挿入される、サンドロの父の人生、モト・ヴァレラの発展が語られるパートでは、第一次世界大戦以降の未来派やファシストと彼、会社とのつながりが明かされ、異なる時代の動きが交錯していく。ちなみに、不思議な印象を与えるタイトルの「flamethrower(火炎放射器、あるいはそれを使用する人)」も、ヴァレラ家の歴史と関連するものである。
物語の後半、リノはサンドロとともにイタリア・コモ湖畔の村に行き、彼の家族らと滞在する。サンドロの母や兄はリノに冷たくあたり、いつもは家族や会社に不満を抱いているサンドロも、ここでは彼らの流儀に従っている。居心地の悪さを感じはじめたリノは、さらに、サンドロが別の女性と親密にしているところを目撃してしまう。
このように書くとドロドロとした話に思えるかもしれないが、この小説にそうした雰囲気はない。リノはサンドロの密事を知ると、すぐにコモ湖を離れてローマへ向かい、その後二人が話し合うことはない。修羅場のないまま、あっさりと関係は終わる。
あるいは、修羅場を語らないということかもしれない。ローマに着いた彼女は、成り行きから、赤い旅団とつながる急進的な組織と関わりを持ち、そのリーダーと親しくなるが、そのことで別の女性たちの反感を買ってしまう。しかし、そこで語り手のリノは「(その後のことは)消し去ることができたらいいのに」と言い、それ以上話をつづけない。
また、ニューヨークに帰った彼女は、サンドロの兄が赤い旅団に誘拐されたことを知っても、気にかけないようにする。彼の人生は自分とは関係がない、組織と関わっていたことも関係がない、と自分に言い聞かせる。そうやって彼女は自分の存在を消すのである。
語り手であるリノは、奇妙なほどに自分のことを語らず、また、主体性がない。この小説を読む人は、彼女が語るエピソードに引き込まれ、少なからず彼女自身にも興味を抱くだろう。それでありながら、読み終えたとき、彼女が何者なのかよくわからないままかもしれない。そもそも、彼女の名前すらわからないのである。
リノはさまざまなことを経験してはいる。さまざまな場所へ行き、さまざまな人と出会っている。「古い人生は捨て去った」などと語ることがあるように、成長を求めているのだろう。好奇心もある。しかし、どこにいても彼女の立ち位置は曖昧なのだ。常に周縁に立ち、いつでもふらっといなくなれるように準備をしているかのようである。
終盤、ロニーは彼女に言う。「君のことでサンドロをからかってたんだよ。サンドロはコーチをしてた。あるいは父親みたいだった。君は若すぎるように見えたんだ。実際にそうだったしね。でも正直に言って、君が違うふうに年を重ねることがあるかもよくわからない。君のことが好きだ。でも、君にはずっと手に入れられなさそうな何かがある」。
このようなキャラクター造形について、著者は「人が実際に考えているであろう考え方で感じる人物をつくりたかった」と語っている。実際の人間は、たいてい、自分が何を欲しているかも知らないものだ。だから、キャラクターが何を欲しているかを知ることには意味がない。子供時代、家族、トラウマといったバックストーリーは必要がない。「人は驚くほど複雑。だれが知ってるというの、自分がどうして今のような自分であるかを?」。
本書『火炎放射』は発売当初から多くの批評家・作家に絶賛され、ニューヨーク・タイムズの「2013年の10冊」に選ばれるなど、各所で2013年を代表する小説として取り上げられている。
著者のレイチェル・クシュナーは、1968年生まれで、ロサンゼルス在住。2008年、長篇『キューバからのテレックス(Telex from Cuba)』でデビューした。革命期のキューバを舞台にした同書は、2作目の『火炎放射』同様、全米図書賞の最終候補作になっている。
アートに関する文章を書いていたこともあるクシュナーは、『火炎放射』の執筆をはじめるとき、いくつかのヴィジュアルイメージを頭に浮かべていたという(本の中にもいくつかの写真が使われている)。そのイメージがまとめられたパリス・レヴューの記事(http://www.theparisreview.org/art-photography/6197/curated-by-rachel-kushner-the-flamethrowers)を見ると、本書の世界がより理解しやすくなるだろう。