戸山翻訳農場

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The Buddha in the Attic by Julie Otsuka           田元明日菜

この作品を読み終えた後、私は妙な“違和感”を覚えた。なぜだろう。そうしてこの違和感の正体についてあれこれ考えているうちに、ふとあることに気が付いた。

大抵、小説には主要な登場人物というものがいる。一人の場合も複数の場合もあるが、主人公や主要な人物というものが出てきて、そうした人々の特徴や、会話や、感情描写などが描かれているものである。ところが、である。『The Buddha in the Attic』には、そのような主要な人物が見当たらない。たくさんの人が出てくるのに、誰もが皆一様で、これといった特徴がない。彼らは会話をしない。ひたすらに押し黙り、決して感情を表には出さない―この作品は多くの「不在」に満ちている。

 

 

・「個」の不在

The Buddha in the Attic』には「主人公」と呼べる人物がいない。それどころか特定の登場人物すらいない。作品には多くの人々が出てくるが、その誰かに焦点を当てて、行動を事細かに追うことはない。神が世の中全体を俯瞰するような、三人称的な視点で物語は静かに進行していく。

ところが興味深いことに、この作品は三人称で語られているわけではない。終始一貫して、「we(私たち)」という人称が使われている。

 

 

―私たちは長い黒髪で、偏平足で、背もそれほど高くなかった。私たちは、若い頃にお粥しか食べず足が曲がっていたし、私たちは、まだ十四歳の若い少女でもあった。都会からやってきて、街で流行の服を着ていた者もいたが、多くは田舎から出てきていたし、船に乗っていた大部分の私たちは、何年間もずっと同じ着物を着ていた。―

 

 

この作品に出てくる「私たち」という人称の使われ方は、特定の誰かが代表となって自分たちを語った「私たち」ではない。すなわち「I()」がいて、その「私」の視点から「私たち」が語られているわけではないのだ。「私たち」とは初めから「私たち」という総体でしかなく、そもそもこの作品には「I(私)」が存在しないのだ。

 

 

・「会話」「感情描写」の不在

また、「会話」のやりとりや、「感情」にまつわる描写が出てこないこともこの作品の大きな特徴である。ある人物が言った言葉が断片的に“記録”のように書かれることはあっても、相互的なやりとりはまったくといっていいほど出てこない。まるで抑圧されて、自己主張を許されなかった女性たちの姿と呼応するように、テクスト自体が非常に寡黙な印象を受ける。

The Buddha in the Attic』に出てくる女性たちのほとんどは、そもそも自己を語る言葉を持っていない。彼女達は英語を話せない。アルファベットが理解できない。自分につけられた名前でさえも、アメリカ人にとって呼びやすい、イングリッシュネームに付け替えられてしまう。言葉を上手く話せない彼女達の子供が学校で肩身の狭い思いをしている場面も、言語を奪われた者の立場の弱さを物語っている。

 

 

―学校で、彼らは教室の後ろで、ホームメイドの服を着て座り、メキシコ人たちと、おどおどためらいがちに話をした。手を挙げることはなかった。笑うことはなかった。休み時間には校庭の隅に寄り集まって、秘密の、恥ずべき言語で囁き合った。中でも―最初に生んだ子供たちは―英語がまったくといっていいほどわからず、話すことを求められると膝が震えた。

ある子供は先生に名前を尋ねられた時、「六歳」と答えた。その時の笑い声は彼女の頭の中に数日間反響していた。別の子供は、自分の名前を「テーブル」と答えた―

 

 

Japaneseの不在

先に挙げた引用にあるように、日本語は「秘密の、恥ずべき言語」とされている。そして彼らが日本語で何を語ったのかは語られていない。またこの小説は「日本人」を描いた小説であるにも関わらず、地名や人名などの固有名詞を除けば、日本語のワードはほとんど見受けられない。

アメリカに渡り、アメリカ的な生活に合わせようとする人々は、同時にアメリカには染まりきれない現実に直面して苦しむ。しかし、彼らを取り巻く環境の中で、「日本人」として生きていくことも難しい。そのような彼らの立ち位置が“国籍”の消失と共に「Japanese=日本語」をも奪ってしまっている。そしてJapaneseで語られた言葉は作品の中の「日本人」同様、疎外され、テクストからも消滅してしまっている。

 

この作品は「アイデンティティ」喪失の物語であるともいえる。言語とアイデンティティは密接に関係している。日本語という言語を話すこと。言葉で自分の考えを述べること。自分につけられた名前もまたそうである。つまり私達は言語によって自らを「証明」しているとも言える。そして言語を持たない、この小説に生きる人々は、個としての「私」を持たずに、消えていく運命にある。

 

―初霜が下りる頃には、私たちの中で、彼らの顔は入り交じって曖昧なものになった。名前を思い出せない。カトウさんだったかサトウさんだったか?彼らの手紙は届かなくなった。真夜中に突然、夢の中に出てくることはあるが、いつの日か私たちは彼らと一緒にいたことを忘れてしまうだろう。―

 

 

The Buddha in the Attic』は寡黙な作品である。決して多くを語らない。文体も極めてシンプルである。しかし、その「不在」にこそ作者の痛烈なメッセージが込められているように思える。

 

 

 

■『The Buddha in the Attic』について

ジュリー・オーツカの『The Buddha in the Attic』は第二次世界大戦直前に、見合いのためにアメリカのカリフォルニア州に渡った日本人女性たちの姿を描いた作品である。黒髪に着物、草履といった格好をした彼女たちは「写真花嫁」と呼ばれ、希望を抱きアメリカへと渡っていく。しかし実際に彼女たちを待ち受けていたのは日本で夢見ていたものとはかけ離れた暮らしで、みすぼらしい夫たちと、農作業や清掃に明け暮れる日々であった。これは二十世紀初頭に流行した「写真結婚」を題材にしており、世界的にもあまり知られていない、当時の若い日本人女性たちの姿を描いている。

「写真結婚」とは、仲介者を経てアメリカにいる日本人男性と日本で暮らす女性が、お互いの写真や手紙を交換することで結婚を決めるという見合いの習慣である。これは1908年頃から普及し、1920年に締結された「紳士条約」と共に廃止されるが、この間におよそ7,000人から10,000人の日本人がアメリカに渡ったとされている。しかし実際にはこの見合い結婚は問題も多く、過酷な労働に耐えきれず逃げ出す女性もいたという。