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内省的なロックだ。ブレット・イーストン・エリス(『アメリカン・サイコ』『インペリアル・ベッドルームズ』)はこの小説について「『グレート・ジョーンズ・ストリート』(ドン・デリーロ)以来最高のロック小説じゃないか」と述べ、サーストン・ムーア(ソニック・ユース)は「他に類を見ないロック小説」と評した。
とはいえ、ダナ・スピオッタの『ストーン・アラビア』を構成しているのは、荒々しいビートや攻撃的なディストーションではない。ゆったりとしたシンプルな音は、はじめ地味に聞こえるかもしれない。だが、音の流れに身をまかせ、聴きこんでいくにつれ、その抒情的でせつないメロディーが心に沁みてくる。
軸として奏でられるのは、ニック・ワースという男の物語である。1970年代にバンドを結成し、順調に人気を得るが、やがて表舞台から姿を消す。それから彼がはじめたのは、家族や昔のガールフレンドなどのごく数人に向けてアルバムをつくること、そして、「クロニクル」という架空の自分史を記すことだった。
「クロニクル」のなかでニックはロックスターだ。ポップな曲でヒットチャートをのぼりつめたのち、ひっそりと実験的なプロジェクトをはじめ、数は多くないが熱烈なファンを獲得する。
今日だよ、みんな。「オントロジー・オブ・ワースVol.2」の発売日。(中略)絶対買って、無料のポスターももらって、それから集めると3種類の特別な絵ができる限定盤のカバーも忘れないようにね(過去18作のもまだ入手可能だけど、急いで―数に限りがあるし、eBayではもう高値がついてるから)。
と、ニックのファン雑誌には書かれている、と、ニックは書いている。「オントロジー」は実際に存在するが、発売を心待ちにするファンは存在しない(というより発売されることはない)。「クロニクル」と題された30数冊のスクラップブックには、架空のレビュー、架空のインタビューなどがぎっしりと収められている。
このニックの奇妙な物語を奏でるのは妹のデニス。47歳の彼女はロサンゼルス郊外に一人で暮らし、個人秘書の仕事をしている。ニューヨークに住む一人娘のアダとは頻繁に連絡を取り合い、「ボーイフレンドのような」ジェイとは愛はなくも定期的に会う関係を育んでいる。
語り手であるデニスの奏でる音は基本的に穏やかだ。しかし、ところどころで不協和音が入り込み、ときにリズムも崩れる。
不安定な音をつくる要因は、ひとつには兄妹関係である。「彼は常に共にいたのだ、わたしが生まれてからずっと。彼なしでいったいどうしたらやっていけるだろう、いつも必ずそこにいる人なのだから」とデニスが言えば、ニックは「彼女は俺の延長みたいなものだよ。そう、俺のオルタナティブバージョンだ」と言う。二人の結びつきは非常に強い。デニスは兄の生活を支え、ニックはできたてのアルバムをまず妹に送る。しかし、不可解な音楽活動をするアルコール依存の兄との関係に、妹は不安を抱かざるを得ない。
ニックとわたしは本当に間違いを犯してしまったのだ、とはじめて理解した瞬間のことを覚えている。(中略)まともな道を外れてしまった、わたしたちの人生は誤った方向に向かっている、と本当に悲しい気持ちで気づいたことを覚えている。
物語が流れるにつれ、デニス自身の不安定さも浮き彫りになってくる。彼女はテレビやネットのニュースを見てはパニックを起こす。「自分と周りの世界の境界が定まらない」。そしてニュースに異常な感情移入をする。
彼女は自身の問題をこう認識する―「わたしの記憶は実生活の外で起こる出来事に支配されている」。
「記憶」は『ストーン・アラビア』の全編に鳴り響くモチーフだ。デニスの母は、アルツハイマーと思われる症状があり、ときに記憶を失い、ときに記憶を勝手に改変してしまう。一方、兄のニックは、自ら記憶を改変する。
そのような家族に囲まれ、デニスは「記憶」に対して強迫観念のようなものを抱いている。身近なものの名前を思い出せないことで延々と悩み、正確でない自分の記憶に不安を覚える。
そしてそれは―ニュースへの感情移入を含め―メディアの問題とも結びついている。テレビやネットに多くの時間を費やすデニスだが、メディアやテクノロジーには懐疑的だ。
わたしは信じている―知っている―写真はわたしたちの記憶を破壊してきたのだと。写真を撮るたび、わたしたちは物事を心に刻むこと、実際の脳細胞に刻むことを忘れてしまう。
悩める主旋律に対し、からっと若々しいオブリガートを入れるのが、デニスの娘のアダだ。ニックのドキュメンタリー映画を製作する彼女は、母から「インターネットが自分の記憶になると信じているかのようだ」と言われる典型的な現代っ子である。「オントロジー」が届いた日、彼女はブログにこう書き記す。
わたしのぶっ飛んでる伯父さんがやってる、ちょっと説明しづらい自主制作の音楽活動ですが、いつも読んでくれてる人ならわたしがどれだけ彼のファンだか知ってますよね。でも知ってるかもしれませんが、実験的なのはあまり好きじゃないです。特にエピックな(えへん)実験的なのは。わたしが好きなのはポップなほう。サイドプロジェクトの、ローファイでシンプルな曲が好き。
ニックのやっていることはたしかにおかしい。アダも彼のことを「変人」だと言う。だが、彼女はごくふつうに音楽の感想をブログへ記す。良くも悪くも、デニスのようにニックを特別視することはない。
これは、デニスとアダの世代の違いによるものなのだろうか。あるいは、兄と伯父という関係の違いだろうか。あるいは、デニスが兄の過去の栄光にとらわれているからだろうか。デニス自身の心の問題だろうか。
読み進めるにつれ、デニスという語り手がどこまで正確にメロディーを奏でているのかわからなくなってくる。しかし同時に、だからこそこの物語は心に響くのだという気もしてくる。ダナ・スピオッタのプロデュースは巧みである。美しいメロディーはときに不安定な演奏でこそ活きることがある。
スピオッタはこれまでに本作を含めて3作の小説を発表している。ニューヨーク・タイムズのミチコ・カクタニが絶賛するなど、いずれの作品も評価は高く、本作は全米批評家協会賞の最終候補作となった。
作家たちからも多くの賛辞を贈られており、ロサンゼルスを舞台とした処女作の『ライトニング・フィールド』について、スティーヴ・エリクソン(『彷徨う日々』)は「仮面と鏡の街のなかで、ダナ・スピオッタの魅惑的な小説は静かな暴挙、ガラスの破片が光る二日酔いのひと気ない通り、黒い紙吹雪のようにまやかしの断片が吹き散る排水溝である」と述べ、ドン・デリーロ(『アンダーワールド』)は「われわれ消費者の巨像とそれがかたちづくる人口製品について描いた、素晴らしく愉快で、完成度が高く、影響力の大きい処女作」だと言っている。
冒頭のエリスをはじめ、彼女の作品をデリーロの初期作と比較する評は多く、書評サイトThe Millionsの女性ライター、イーダン・レプッキは「ダナ・スピオッタはヴァギナをもったドン・デリーロのよう、そして、わお、そのヴァギナはとても重要なものなのだ」と書いている。
ちなみに、タイトルの「ストーン・アラビア」は、ニューヨーク州にあるアーミッシュの人々が暮らす村の名前である。