月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
ジャスミン・ウォードの『Salvage the Bones』は、2011年の全米図書賞を受賞した作品である。2005年アメリカ南東部に壊滅的な被害をもたらしたハリケーンカトリーナをテーマに、ハリケーンが到来するまでの12日間を十四歳の少女の視点から描いている。
著者のジャスミン・ウォードはアメリカの黒人女性作家で、ハリケーンカトリーナの襲来によって自らも命の危機にさらされた経験を持つ。彼女は当時の出来事を通じて、この事を書かなければいけないと強く感じたという。『SALVAGE the BONES』がリアリティを持って読者に迫ってくるのは、こうした著者の体験が背景にあるからだろう。特に後半のハリケーン襲来のシーンはめまぐるしさと、息も詰まるような緊迫感のある描写に満ちている。
私は水中を蹴って、空に手を伸ばしたが、ハリケーンに叩きつけられて、背中から水の中に落ちた。
「エシュ!」ランドールが大声を出し、ジュニアは、ランドールの腰に、靴ひものように足を巻きつけてしがみついていた。ランドールは定規のように細長いジュニアの足脛をつかんでいた。
「泳げ!」ランドールは叫んだ。
私は手足で水を掻いたが、どうにか頭が水から出るくらいだった。毒牙のあるピンク色の大きく開かれた口が、私を飲み込もうとしていた。
「くそっ!」スキーターが声を上げた。
「エシュ!」ジュニアが叫ぶ。水は私を脇へと引っ張って、窓から外の水路に押し流そうとしていた。
登場人物たちが直面しているのは、ハリケーンだけではない。彼らは貧しさや孤独にもあえぎ、それぞれが問題を抱えて生きている。『SALVAGE the BONES』はハリケーンの脅威を生々しく描き出すだけでなく、アメリカ南部の黒人コミュニティに蔓延る貧困や問題をも浮き彫りにしている。
物語は十四歳のエシュの視点によって語られる。エシュは十四歳にして妊娠するが、母親も相談できるような友人も周りにいない彼女は誰にも打ち明けられずに一人葛藤する。父親は母の死後、酒に溺れてしまっているので、彼女と長男のランドールが家のことを切り盛りし、まだ幼い弟のジュニアの面倒を見ていた。彼女は家庭では唯一の女性であり、母親代わりのような存在でもあったのだ。母親の不在は一家に悲しみをもたらし、折にふれて母との思い出は懐かしく回想される。次男のスキーターは飼っている闘犬に異常なまでの愛情を注ぎ、その他のことには一切無関心である。生活は貧しく、時には盗みを働き、食糧も満足にはないような暮らしを彼らは送っている。そんな一家にとっての貴重な収入源はスキーターが溺愛する闘犬チャイナをドッグ・ファイティングの試合で戦わせて得る賞金である。
中盤にはドッグ・ファイティングの試合の様子も描かれる。
チャイナは怒りに燃えていた。キロはチャイナの胸部に再び噛みついた。しかしチャイナはキロを肩で押しのけた。チャイナの顎はネズミ取りのようにピシャリと閉じて、キロの首に歯を食い込ませた。
キロは悲鳴を上げた。大きくて甲高い声が、風がヒュウと通り抜けるように歯の隙間から漏れた。スキーターは笑った。彼はチャイナを呼んだ。「おいで、チャイナ」
ドッグ・ファイティングはその残虐さゆえに、現在アメリカではほとんどの州で禁止されているが、未だに行われていることもあるらしい。しかも単に試合が行われるだけでなく、そこでドラックの取引や賭博が行われるケースがほとんどだという。アメリカで闘犬用の犬といえばピットブル。時に人間を噛み殺してしまうほどの顎の力を持つ。ドッグ・ファイティングでは、チャンピオンになると非常に高額な賞金がもらえ、試合は、場合によっては相手の犬が死ぬまで行われることもある。
必死に生きているのは人間たちだけではない。チャイナもまた同じである。エシュたちの家族と共に、必死に生きることと向き合い、戦い続けているのである。
どの家も、ハリケーンに立ち向かって、そして、どの家も無くなった。
木はムッダさんとティルダの家に激突した。家々が寄り集まるように、人々は道端に集まって、裸足で、半裸で、倒れた木やねじまがったトランポリンの周りを歩き、互いに話を交わし、頭を振って、ある言葉を何度も何度も繰り返した。生きるのだ、生きるのだ、生きるのだ、生きるのだ。
「何のために生きるのか?」
答えはシンプルだ。「生きるために生きる」のだ。ハリケーンはあらゆるものを奪った。家も財産も全て押し流してしまった。しかし、彼らには命がある。エシュのお腹にも新しい命がある。明日のことはわからなくても、生きようとする強い意志が彼らにはある。だからだろうか、『SALVAGE the BONES』は不思議と悲しい物語に思えないのだ。
『SALVAGE the BONES』は、東日本大震災からもうすぐ二年が経とうとしている今の日本にも重ね合わせて読むことができる。震災の残した大きな爪痕、恐怖、人々の悲しみ。私たちも今、強く生きていかなければいけない時代にある。そんな今の時代にこそ贈られるべき一冊だと思う。