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Ⅰ.ミス・ヴァシュナとはいったいどのような女性だったのか
The Furnished Roomを読み終えた方々が一番の関心を持つのは、物語のヒロイン、エロイーズ・ヴァシュナ(Eloise Vashner )とははたしてどのような女性だったのか、ということではないだろか。劇場関係の仕事を目指し田舎からニューヨークに出てきたうら若き少女、いつもモクセイソウの香りをさせていて、細身で美人、そして左眉のそばには大きなホクロがある。読者が物語の中から得られるミス・ヴァシュナについての情報は、この程度のものだ。彼女がどのような性格の女性で、ニューヨークで何を考え、どんな生活を送っていたのか、そのような問いに対して物語は、何の答えも用意してくれていない。それでは読者は、おそらく魅力的であったに違ないミス・ヴァシュナという女性について知ることをあきらめなければならないのか。いや、あきらめるのはまだはやい。彼女についての情報が残されていないのであれば、彼女と似た境遇で彼女と同じ将来を目指した女性を見つけることはできないか。そのようにしてたどり着いたのが、シスター・キャリーことキャロライン・ミーバー(Caroline Meeber)という女性である。ご周知の通り、ミス・キャリーは、O・ヘンリーとほぼ同時期に執筆活動を行っていたアメリカの小説家ドライサー(Dreiser, Theodore)の『シスター・キャリー(Sister Carrie)』に登場する人物だ。頭は良いが、内気で夢見がち、そんな彼女は1889年の8月、たった四ドルの現金を手に、故郷の田舎町から姉の住むシカゴへと出発する。
初版本(左)と2009年に出版された(右)Sister Carrie
シカゴに出た彼女は、靴工場に職を見つける。賃金は週給四ドル五十セント、姉の家に下宿代を収めると、彼女の取り分はほとんど無くなる額である。
Under better material conditions this kind of work would not have been so bad, but the new socialism which involves pleasant working conditions for employes had not then taken hold upon manufacturing companies. (p.39)
もっと環境のよい職場だったら、この種の仕事もそれほど悪くなかったかもしれないが、作業員のための快適な労働条件を整えようとする例の新社会主義[1]というものは、当時はまだ製造業界各社に取り入れられるようになってはいなかった。(上、79頁)
上に引いた文章からも分かるように、当時の工場での労働環境は相当にひどいものだった。もちろんキャリーもはじめから工場で働くことを望んでいたわけではない。タイピストやデパートガールなど、肉体的な負担の少ない職業への就業を希望していたが、それらの職に就けるのはコネがある者、もしくは経験のある者に限られていた。キャリーのような田舎出の少女が見つけることの出来る職は、小さな工場の女工しか無かったのである。少しずつ仕事を覚え、懸命に働いていた彼女であるが、ある日体調を崩し仕事を休んだことで、解雇されてしまう。路頭に迷う彼女の前に、シカゴ行きの電車の中で会ったドルーエ (Drouet)という男が現われる。彼は彼女の衣食住の世話をすることを約束し、二人は家具つきのアパートの一室で同棲をはじめることになる。もちろん、The Furnished Roomの結婚証明書のくだりからもうかがえるように、当時婚姻前の男女が同じ家に住むというのは、相当にスキャンダラスなことだと考えられていた。現にドルーエは部屋を借りる際キャリーに向かって、「ところで、きみはぼくの妹になるんだよ, 138頁(Now, you’re my sister. p70)」と念を押しているし、アパートの他の住人たちやこの後登場することになるハーストウッド (Hurstwood)は、皆キャリーのことをドルーエの妻であると考えていた。そんな風にして穏やかな共同生活を送っていた二人であるが、やがてキャリーは自分との結婚を渋るドルーエに不満を覚えるようになる。そんな時、キャリーの前に登場するのが前述したハーストウッドという男である。彼はハンナ・アンド・ホッグ(Hannah and Hogg’s)という酒場の支配人で、妻子がある身にもかかわらず、キャリーに夢中になる。お互いに惹かれあうキャリーとハーストウッドは、密かに逢い引きを重ねるが、やがて二人の仲は周囲の知るところとなる。弁護士を交えた協議の末に、ほとんど全ての財産を妻子に持って行かれたハーストウッドは、キャリーを連れてニューヨークへと出奔する。ハーストウッドの強引なやり方に反発を覚えるキャリーであったが、ニューヨークという大都会への憧れから同行を承諾する。それでは、キャリーの目に映るニューヨークはどのような街だったか。The Furnished Roomの中にニューヨークを水に囲まれた街と形容している箇所があったが、キャリーの目に映るニューヨークも水、川、船と結び付いた街だった。
As the train turned east at Spuyten Duyvil and followed the east bank of the Harlem River, Hurstwood nervously called her attention to the fact that they were on the edge of the city. After her experience with Chicago she expected long lines of cars—a great highway of tracks—and noted the difference. The sight of a few boats in the Harlem and more in the East River tickled her young heart. It was the first sign of the great sea. Next came a plain street with five-story brick flats, and then the train plunged into the tunnel. (p.303)
列車がスパイテン・ダイヴィルで東に向きを変え、ハーレム川の東岸沿いに走りだすと、ハーストウッドは不安そうに、列車がニューヨーク市にさしかかっていると言った。キャリーはシカゴに出てきたときのことを思い出し、長く連結されて停車している無数の車両――交錯した鉄路――が見えてくるのを予想していたのに、ここの眺めはちがっていた。ハーレム川に何艘かの船が浮かび、イースト川にはもっと多くの船が見えてくると、若い心が躍るのを感じた。それは大海原に近づいた最初のしるしだった。次に見えてきたのは、五階建ての煉瓦造りのアパートが並ぶ、飾り気のない通りだった。それから列車はトンネルの中へ飛び込んだ。(下、75頁)
Also she marveled at the whistles of the hundreds of vessels in the harbor—the long, low cries of the Sound steamers and ferry boat when fog was on. The mere fact that these things spoke from the sea made them wonderful. She looked much at what she could see of the Hudson from her west windows and of the great city building up rapidly on either hand. (p.313)
港の何百という船が鳴らす汽笛の音にも驚いた――霧が出たときに、ロングアイランド海峡汽船やフェリーが発する長く低い叫び。そんな船は、海上から語りかけてくるという点からだけでも、尽きせぬ興味の的だ。西側の窓から見えるかぎりのハドソン川の景色や、この大都会が四方へ延びていくのを、飽かず眺めていた。(下、93頁)
何百もの船の鳴らす汽笛の音に驚いたり、ニューヨークのアパート生活になかなか馴染めなかったりというキャリーの様子から我々は、田舎町から大都会へ出てきたばかりのミス・ヴァシュナの心境を想像することができる。そして彼女たちはそろって、ブロードウェイ、演劇の世界へと魅せられていくのだ。
The walk down Broadway, then as now, was one of the remarkable features of the city. There foregathered, before the matinee and afterwards, not only all the pretty women who love a showy parade, but the men who love to gaze upon and admire them. It was a very imposing procession of pretty faces and fine clothes. Women appeared in their very best hats, shoes and gloves, and walked arm in arm on their way to the fine shops or theatres strung along from 14th to 34th. Equally the men paraded with the very latest they could afford. A tailor might have secured hints on suit measurements, a shoemaker on proper lasts and colors, a hatter on hats. It was literally true that if a lover on fine clothes secured a new suit, it was sure to have its first airing on Broadway. So true and well understood was this fact, that several years later a popular song detailing this and other facts concerning the afternoon parade on matinee days and entitled “What Right Has He On Broadway?” was published and had quite a vogue about the music hall of the city. (p.323)
ブロードウェイのそぞろ歩きは、当時も今も、この都市の名物の一つだ。マチネーの前後には、この通りに、目立ちたがりやの美女たちが大勢集まってくるだけでなく、そういう女たちを眺めて鑑賞するのが大好きな男たちも押し寄せる。美貌と盛装がそろって道を行くさまは、じつに圧倒的である。女たちは、取っておきの帽子や靴を身につけ、互いに腕を組み、十四丁目から三十四丁目にかけてずらりと並んでいる高級店や劇場へ向かう。男たちも負けじと、最新流行の服装でできるかぎりめかし込んでぞろぞろ歩く。仕立屋ならスーツの型に新しい工夫を見つけるかもしれないし、靴屋は靴型や色の、帽子屋は帽子の、流行を思いつくかもしれない。洒落者がスーツを新調すれば、その仕立て下ろしを着てまず行くべきところは、間違いなくブロードウェイである。この事実は明白で、あまねく知られているので、数年後には「何であんなやつがブロードウェイにいるんだい」という題の流行歌が発表され、ニューヨークのあちこちのミュージック・ホールで大変な人気を博したほどである。その歌のなかでも、マチネーの午後に見られるこういった盛観があれこれ歌われている。(下、107-8頁)
まるでロンドンのグローブ座のように、当時のブロードウェイは社交と流行の中心地だった。レイチェル・ボウルビーが『ちょっと見るだけ:世紀末消費文化と文学テクスト』(原題 Just Looking: Consumer culture in Dreiser, Gissing and Zola, Rachel Bowlby)の中で指摘しているように、百貨店の隆盛と共に、見られる女性、商品を買う主体であると同時に商品として見られる客体でもある女性が出現してきた時代である。自分に視線が注がれるという体験、衆目を集めることの喜び、このような経験がキャリーを舞台へと駆り立てていく。ハーストウッドのニューヨークでの商売は、上手くいっているとは言い難かった。シカゴで成功を収めていたハーストウッドのような男も、ニューヨークにおいてはとるにたらぬ一滴の水に過ぎないのである。やがてハーストウッドは仕事を失い、家計は切迫したものになっていく。そんな中キャリーは、かねてからの夢であった舞台女優を目指すことを決意する。この後キャリーは、元来より兼ね備えていた役者の才能に、運が加わり、大成功を収めることになるのだが、キャリーが大女優へと昇りつめていく過程を見ることで、当時の劇場の様子を窺い知ることができる。The Furnished Roomの中に、ミス・ヴァシュナの自殺の原因についての言及はないが、おそらく役者として上手くいかなったことが理由であると推測できる。現在の我々の常識から考えても分かることだが、当時、一人前の役者として成功を収めるのは非常に難しいことだった。例えば、役者を志す若い女性は、まずコーラスガールという役から経験を積んでいかなければならない。
When Carrie renewed her search, as she did the next day, going to the Casino, she found that in the opera chorus, as in other fields, employment is difficult to secure. Girls who can stand in a line and look pretty are as numerous as laborers who can swing a pick. She found there was no discrimination between one and the other of applicants, save as regards a conventional standard of prettiness and form. Their own opinion or knowledge of their ability went for nothing. (p.385)
翌日キャリーがふたたび仕事を探しにカジノ座へいってみると、喜歌劇のコーラスガールの口もほかの仕事を変わらず、簡単にありつけるものではないことがわかった。コーラス・ラインに加わってきれいに見えるような若い女性は、つるはしをふるうことのできる労働者と同じくらい、掃いて捨てるほどいる。見てのとおり、志望者の中で優劣をつける基準は、世間で言われているような容姿端麗という以外に何もありはしない。当人たちがみずからの才能をいかに高く買っていようと、そんなことは少しの足しにもならない。(下、227-8頁)
上に引いたように、この一番下っ端の役柄であるコーラスガールになることすら相当に難しい。人並み外れた容姿や若さがあって初めて、コーラスガールとして舞台の上に立つことができるのだ。そう考えると、The Furnished Roomの中でミセス・パーディの言う、「美人と呼ばれていたさぁね、おまえの言うとおりだわさ。あの左眉のそばについた元気そうなほくろさえなけりゃあねぇ」という台詞は相当残酷なものに聞こえる。もちろん、このコーラスガールという役には台詞がない。大物の俳優や演出家、脚本家に認められて台詞がもらえるのは、この中からほんの一握りの人間だけだ。また、名のある俳優とコーラスガールとでは、給与も天と地ほどに違う。週給十二ドルからはじまったキャリーの給与は、あれよあれよという間に週給百五十ドルにまで上がっていく。これだけでも役者として成功することの難しさを理解することはできると思う。それに加え、それぞれの演劇ごとの契約という雇用体系や、ニューヨーク講演の後の地方巡業、そして絶えず気を抜くことのできない役者同士の競争が、彼女たちの仕事をさらに不安定で厳しいものにしている。同じように舞台を目指したキャリーとミス・ヴァシュナ、一方は幸運にも成功を収め、もう一方は不幸にも自ら命を絶ってしまう。そういった意味で、キャロライン・ミーバーとエロイーズ・ヴァシュナはまさにコインの裏表のような女性だ。キャリーはヴァシュナにもなりえたし、ヴァシュナがキャリーのように成功を収める可能性だってあった。キャリーとヴァシュナ、二人の女性について知ることで、我々は初めて、1900年代初頭のニューヨークで舞台に憧れた女性たちを理解することができる。
1952年公開の映画版『シスター・キャリー』、原題はCarrie、邦題は『黄昏』
ローレンス・オリヴィエがハーストウッドを演じている
Ⅱ.都市小説としての「The Furnished Room」
『シスター・キャリー』は、ファッションや芸能といったアメリカの都市大衆文化の華やかさを享受する人びとと、その対極にある下層階級の悲惨さ(職を失くしたハーストウッドはキャリーに捨てられ、ホームレス同然の身になる。施しを求めて街をさまよい歩く彼の視点からは、当時の下層階級の人びとがどのような暮らしをしていたかがよく分かる)を描いたという点から、都市小説の先駆と呼ばれている。ドライサーは、キャリーに象徴される都市における成功者とハーストウッドに象徴される都市における失敗者を対比させることで、当時のニューヨークに暮らすあらゆる階層の人びとの生活を描きだした。しかし、O・ヘンリーのThe Furnished Roomに成功者は登場しない。役者や劇場という都市の華やかな面は直接に描写されることなく、かつて部屋に暮らしていた役者たちや美しいミス・ヴァシュナは、音や匂い、気配といった、目に見えぬ過ぎ去ったものとして物語に登場する。O・ヘンリーが意図的にこのような書き方をしたのか、あるいは短編小説という形式の問題から省略せざるをえなかったのか、そのどちらが正しいと言い切ることはできないが、この操作がThe Furnished Roomという物語を一つのトーンに落とし込んでいることは否定しようのない事実である。華やかな物が直接描写されることなく過去の物として描写される。これによってThe Furnished Roomには孤独や不安、過去といった暗い色調が絶えず付き纏うことになる。書き出しの文章に登場する一人か二人の幽霊にあやかって、The Furnished Roomをゴーストストーリーとして定義するならば、そこに登場する亡霊はミス・ヴァシュナではなく過去という亡霊だ。ニューヨークに暮らす人びとを直接に描写するのではなく、その人物の残していった痕跡によって人柄を浮かび上がらせる、そのような手法を使ったThe Furnished Roomはまさに、亡霊たちによる都市小説と言えるのではないか。ドライサーが精密な描写によってやろうとしたことを、あえて描写をしないことによって成し遂げる。その洒落っ気がなんともO・ヘンリーらしいではないか。
Ⅲ.補足
先にハーストウッドがホームレスに身を落とすということを書いたが、絶望した彼は物語の終わりに自ら死を選ぶ。その彼が取った自殺の方法というのが、ミス・ヴァシュナそして彼女を探していた語り手と同じ、ガス自殺という方法なのである。ガス灯というものが身近にあった1900年代の初頭には、ガスによる自殺という事件が今よりもずっと多かったのかもしれない。
It seemed as if he though awhile for now he arose and turned the gas out, standing calmly in the blackness, hidden from view. After a few moments in which he reviewed nothing, but merely hesitated, he turned the gas on again, but applying no match. Even then he stood there, hidden wholly in that kindness which is night, while the uprising fumes filled the room. When the odor reached his nostrils he quit his attitude and fumbled for the bed.
“What’s the use,” he said wearily, as he stretched himself to rest. (p.499)
しばらく考え事をしているようだった。そうとも見えるのは、立ち上がってガス灯を消してから、暗闇のなかでだれにも見られずに静かにたたずんでいるからだ。だが、何かを思い返しているというわけでなく、ただ暫しためらっていただけで、そのあげくに再度ガス栓をひねって開けたまま、マッチをつけなかった。そのあともその場に立ちつくしていたが、夜というものが帯びているあのやさしさにすっぽりと包まれて、姿は見えなくなっていた。そうしているうちにも立ちのぼるガスが部屋に満ちていく。においが鼻につくようになると、それまでの姿勢を崩し、手探りでベッドに戻った。
「無駄なことさ」弱よわしくつぶやくと、体を伸ばして休息に入った。(下、451-2頁)
本論の引用は、以下の著作に拠る
Dreiser, Theodore. Sister Carrie. 1900. New York: Penguin Books, 1981
ドライサー、村山淳彦訳『シスター・キャリー(上)』岩波文庫、1997
ドライサー、村山淳彦訳『シスター・キャリー(下)』岩波文庫、1997
[1] 当時の一工場主ジョン・H・パタソンが提唱し、実践した労働条件改善運動のこと。ドライサーはジャーナリストとして、この運動についての記事を書いたことがある。(『シスター・キャリー』訳注)