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【文学的野心】
O・ヘンリーは大衆作家として知られているが、文学的素養や野心を持ち合わせていたことを伺わせる作品も残されている。“Roads of Destiny”(「運命の道」)と “The Enchanted Kiss”(「魔法の接吻」)という作品がその一例と言えるだろう。
“Roads of Destiny” は、誤解を恐れずに言えば、ロバート・スティーヴンソンの「マレトルワ邸の扉」[17]の盗作である。けれども、O・ヘンリーは、スティーヴンソンのプロットを三倍にも伸ばしている。スティーヴンソンがこの作品を出版した当時のタイトルは、実は「マレトルワの鼠とり」であり、これはO・ヘンリーがよく人間の置かれた状況を「鼠とり」と呼ぶことと無関係ではないだろう。O・ヘンリーは、スティーヴンソンの人間観に共鳴し、彼の作品を下敷きにしながら、さらなる探求を試みたのだと言える。
もうひとつ、“The Enchanted Kiss”という作品でO・ヘンリーは、エドガー・アラン・ポー、超自然現象、そして、ドラッグに対する関心を示している。この作品も、彼が自らの典型的なスタイルからの脱却を試みていたことの証左となるだろう。
自らの死に直面したある男が、時間の拡張を経験し、相当な期間を生きる、そうした物語内容は、意識的にせよ、無意識的にせよ、アンブローズ・ビアスの “The Incident at Owl”(「アウル・クリーク橋での出来事」)[18]に通じるところがあり、ボルヘスの “The Secret Miracle”(「隠された奇跡」)[19]のアナログ盤だとも言える。
【O・ヘンリー作品の特長】
O・ヘンリーは人生は鼠とりであると語り、ある人間が退屈なルーティーンから自由になろうと決心するのだが、それでも、その機会を得てみると、元の生活に帰ってきてしまう、そうした物語を書いた。そこには、運や偶然などがないと信じる人物(詐欺師たちなど)と、好運であるか悪の存在を知らない無垢で無力な人物の対置が見られる。
誘拐犯が、誘拐された者の無垢さにやっつけられてしまうといったように、彼の物語では、噛む者は、噛まれる。そして騙す努力を重ねれば重ねるほど、その失敗が笑える仕組みになっている。
しかし、O・ヘンリーの作品を彼の作品たらしめる所以はこうしたプロットよりもむしろ、彼の耳の正確さ、視線のコミカルさにある。
【ヴァナキュラーの巨匠】
当時の研究者たちが彼の作品に否定的もしくは関心を示さなかったのは、作品にスラングが頻出し、それが下品に感じられるという理由からであった。しかし、彼らが忌避したこの点こそ、O・ヘンリーの大きな特長のひとつなのである。
彼は、田舎の牧場の、南部の黒人・白人の、バワリー[20]のその土地土地の言葉をリアルに再現することができた。ヴァナキュラー[21]の巨匠だったのだ。さらに、言葉遊びのような駄洒落も頻出する。駄洒落の元となる表現は一読するだけではなかなか気付かないが、実は古典からの引用である場合が多く、O・ヘンリーの教養の深さを伺い知ることができる。
【サイレント映画の影響】
1895年に今日の「映画」の原型、サイレント映画が誕生する。そこでは音がないため、大げさな演技や視覚効果を駆使し、古代ギリシアの新喜劇[22]に似た、人のばかばかしく滑稽な一面を戯画化して描きだす技法が発達した。O・ヘンリーの作品には、サイレント映画における、性格や行く末が一目にしてわかるような類型的キャラクター造形の影響が見て取れる。
エヴゲーニイ・ザミャーチン[23]は、O・ヘンリーの物語を簡潔でスピード感のあるアメリカ特有の作品であると評したが、それはサイレント映画から示唆を受けたキャラクター造形のなせる賜物だろう。当時の新聞や雑誌に掲載されることが多かった彼の短編は、こうした理由で、さっと読んで笑える作品となっている。
【アメリカ版ユリシーズ?】
ジェイムズ・ジョイス[24]の『ユリシーズ』は、ダブリンのある一日(1904年6月16日)のあらゆる一般人たちの生活を描いた作品で、彼はこの作品について「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったとされている。
つまり、ダブリンの一般的な人々の生活を細部に渡り描写することを目指した作品であるが、O・ヘンリーも同じ問題意識を持っていたのである。O・ヘンリーは、「自分の仕掛けたネズミ取りに引っ掛かった」完全に一般的な人間の話を構想し、フローベール[25]同様、写実に徹した作風を目指していたとされている。
結局この本は書かれることはなかったが、彼の作品群は、世紀の転換点にあったアメリカ人の生活を、それも西からニューヨーク、南から中央アメリカまで扱ったアメリカ版『ユリシーズ』の一部分と言えるかもしれない。
【トリックスター】
現地の言葉を巧みに再現し、キャラクター類型を駆使して一般の人々を写実的に描く — O・ヘンリーの才能は、彼の最も好んだトリックスター的人物を描く際に結実している。顕著な例として “The Duplicity of Hargraves” (ハーグレイヴズの一人二役) を取り上げてみたい。(以下ネタバレあり)
ハーグレイヴズは役者をしている。ある時、まさしく南部軍人生き残りの典型であるトールポット少佐を、格好から仕草、性格やその人生すべてを真似した舞台を演じ、称賛を得るがトールポットは激怒する。トールポットの家は経済的に貧しい状態だったが、怒りのあまりハーグレイヴズからの金銭提供を断ってしまう。
そんなとき、トールポットのもとに年老いた黒人が訪れる。彼は、トールポットの家族が経営する農場で働いていたのだが、南北戦争後に新しい生活を始めるために、トールポット家から貸りた金を返しに来たのであった。トールポットは涙を流しながらその金を受け取ったが、後日、あの年老いた黒人はハーグレイヴズが演じていたということが明かされ、話が終わる。
ハーグレイヴズこそがまさにトリックスターである。ハーグレイヴズが舞台において一度は茶化し冷やかしたトールポットの古い価値観を、年老いた黒人の訪問によって解放奴隷の忠誠心と尊厳として取り戻す。しかしトールポットの尊厳の回復はまさしく、年老いた黒人=ハーグレイヴズによってなされるのだ。
O・ヘンリーは公正明大な態度、同情、愛、友情など中心に語る。大衆作家として求められていたものに彼は喜んで応えようとした。しかし一方で、O・ヘンリー作品にはもう一つの側面がある。悪党や詐欺師といった社会のばかげた競争から逃れ出る人々に共感の眼差しを向けているのだ。彼らは、合法的でありながら不誠実なものたち(政府、銀行、弁護士等)がいる世界で生き抜いてきたトリックスターなのである。
いわゆる愛や友情、笑いあり涙ありの物語を描きつつ、トリックスター的キャラクターたちも生き生きと描く、この両立こそが、O・ヘンリーのO・ヘンリーたる所以だろう。
[17] ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、スコットランド生まれの小説家(1850~1894)。『ジキル博士とハイド氏』や『宝島』などの著作が有名。「マレトルワ邸の扉」においては、主人公の男とその娘、それから、街の色男が一人、洞窟に閉じ込められ、そこから脱出を図る。
[18] アンブローズ・ビアスは、アメリカ生まれの作家、エッセイスト(1842~1913)。『悪魔の辞典』で知られる。「アウル・クリーク橋での出来事」は、南北戦争の時代を舞台にとり、ある男が橋で絞首刑にされる一瞬を描いている。首に縄をかけられ、橋から蹴り落とされるわけであるが、縄が断ち切れて、そのまま川に落ちる。川を下り、森を抜け、男が家族と再会したその瞬間、男の首の骨が折れる。橋から落ちる間、男が夢を見ていたという落ちである。
[19] ホルヘ・ルイス・ボルヘスとして知られるホルヘ・フランシスコ・イシドロ・ルイス・ボルヘス・アセベードは、アルゼンチン生まれの作家(1899~1986)。バルガス・リョサやガルシア・マルケスに先行するラテンアメリカ文学の旗手である。「隠された奇跡」は、第二次大戦中、ナチスの支配下にあったプラハを舞台にとる。主人公のユダヤ人劇作家は、銃殺刑を言い渡されるが、まだ完成していない戯曲が心残りでしかたがない。刑が執行される日の前夜、男は戯曲を完成させる時間を与えてくれるよう神に祈る。そして、刑の執行当日、男が磔にされ、今まさに銃の弾丸が彼に届こうとする時、彼の意識を除いて、全てが停止する。男はその体勢のまま一年をかけて黙考し、頭の中で戯曲を完成させるのである。
[20] マンハッタンの南部にある地域。
[21] 方言やある特定の土地に根差した言葉を指す。
[22] 紀元前4世紀の古代ギリシアで主流だった演劇の呼称。代表的な劇作家はメナンドロス(BC342-292)である。主に市民階級の生活が題材になった。
[23] ロシアの作家(1884〜1937)。レーニン批判の反革命作家である。代表作は『われら』
[24] アイルランドの作家(1882〜1941)。『ユリシーズ』、『フィネガンズ・ウェイク』等で世界的に有名な作家。『ユリシーズ』は1922年に出版され、フローベールなどの写実主義からの影響を認められる。「意識の流れ」を導入し、日常の細部にいたるまで丹念に描かれている。
[25] ギュスターヴ・フローベール。フランスの小説家(1821〜1880)。代表作『ボヴァリー夫人』では田舎の夫人が退屈な生活に飽き、最後には不倫と借金を苦に自殺するまでが描かれる。当時の社会や生活、心理の細部に至るまで徹底した客観描写を行い、この作品は写実主義の礎を築いたとされる。