月曜 14:45~18:00
木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
冒頭に登場するのが、マンハッタン高架鉄道(Manhattan Elevated)[i]。1868年に最初の路線(9番街線)が開通し、1870年代から本格的に運行されるようになった。やがて、2番街線、3番街線、6番街線もつくられ、この短編の時代には4本の路線がマンハッタンを走っていたことになる。ここでは、81丁目駅が舞台となっていることから、9番街線が描かれているのであろう。81丁目駅は、1879年に新たに開業した駅である。開業を報じた新聞記事[ii]を読むと、当時の街の様子や、人々の反応がわかって面白い。この時代のニューヨーク・マンハッタンは、人口が急増していた。そのため、高架鉄道の混雑もひどいものだったようである。The Pendulumのなかに、「shepherd(羊飼い)」「a flock of citizen sheep(市民という羊の群れ)」「cattle cars(家畜列車)」という表現が出てくるが、1885年、ケーブル鉄道の提唱者ローソン・N・フューラーはつぎのようなことを言っていたそうだ。「高架鉄道は、乗りすぎのため人々は家畜輸送列車に乗せられた羊のように詰め込まれていて、乗ってから降りるまで立ちっぱなしということもよくあります」※[iii]。当時、こうしたことは、あちこちで言われていたのかもしれない。また、「自殺カーブ」と呼ばれたものなど、急なカーブがいくつかあり、ちょうどこの短編が書かれたころの1905年9月11日に、9番街線で脱線事故[iv]が起きている。さらに、騒音や煤煙は慢性的な問題で、1904年に地下鉄が開通したことなどもあり、この交通機関は1920年代から徐々に廃止されていった。
ジョン・パーキンズが頭の中に浮かべる日常には、当時の世相がさまざまに反映されている。
まず、夕刊の記事で伝えられる日露戦争。この戦争は1904年から1905年にかけてつづいた。鴨緑江の話題も出てくることから、米国の市民のあいだでも大きな話題になっていたのだろう。新聞や雑誌で戦いの様子が伝えられていたようだが、当時、米国の新聞業界では、販売部数競争が熾烈を極めていたという。販売部数を伸ばすため、さまざまな新聞で、扇情的な見出しが躍っていたそうだ。『日露戦争 もう一つの戦い』という本の中には、「満韓を巡る日露の争いも激烈なら、それを恰好のネタに販売競争を繰り広げる米国のメディアの争いも凄まじかった」※[v]という記述があるが、こうしたところから「deadly linotype(凄惨なライノタイプ)」という表現が生まれたのだろう(ちなみに、ライノタイプも当時新しかった技術で、新聞の発展に大きく貢献した)。
つぎに、食品添加物の問題。The Pendulumには、「the bottle of strawberry marmalade blushing at the certificate of chemical purity on its label(ラベルの純正保証に赤面するイチゴジャムの瓶)」「the strawberry marmalade’s shameless certificate of purity(イチゴジャムの厚かましい純正保証)」という表現が出てくるが、これは、1906年に制定された純正食品薬品法(Pure Food and Drug Act)を受けてのものだろう。こうした問題がはじめて本格的に扱われたこの法律により、米国では、正確なラベル表示が義務付けられるようになった。とはいえ、この短編には、「赤面する」「厚かましい」などと書かれており、信用に足るものではなかったのかもしれない。
食品添加物の問題は、産業革命を背景に広がり、現在にまでつづいているが、それと同じことをいえるのがフィジカル・カルチャー(physical culture)である。ライフスタイルの変化から、都市住民は健康に問題を抱えるようになっていた。そこで、19世紀以降、さまざまなエクササイズが生み出されたのである。1899年には、ベルナール・マクファデンによってPhysical Culture誌[vi]が創刊され、人気の雑誌となった。The Pendulumに登場する太った男も、この雑誌を見ながらエクササイズをしていたのだろうか。
そのほか、時代を表すものは、オスカー・ハマースタイン(Oscar Hammerstein)。19世紀末から20世紀初めにかけて、多くの劇場経営に携わった人物である。孫のオスカー・ハマースタイン2世も、ミュージカルの作詞家・台本作者として成功を収めた。フォア・イン・ハンド(four-in-hand)。現在主流となっているネクタイの型だが、これは19世紀末に生まれたものである。当時はまだ新しく、旧来のものと区別して呼ばれていたのだろう。着物(kimono)。ジャポニスムの影響を受けて、19世紀後半から米国でも知られるようになった。日本の着物とは少し形を変え、室内着として流行したそうだ。
ベンソン・ボブリック『世界地下鉄物語』日高敏、田村咲智訳、晶文社、1994年、p.193
塩崎智『日露戦争 もう一つの戦い―アメリカ世論を動かした五人の英語名人』祥伝社新書、2006年、p.177