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木曜 16:30~18:00
金曜 18:00〜21:30?
動物からの原稿を読んであなたがた人間たちが面食らうとは思わない。キップリング先生とか優れた作家さんたちがたくさん、動物も売れる言葉で自己表現できることを証明してくれたおかげで、いまではどの雑誌も動物の話なしで刊行されることはなくなったんだから。もっとも、時代遅れの月刊誌あたりは、いまなお、ブライアン議員[1]やプレー山の惨劇[2]の写真を載っけたりしているが。
でも、吾輩の作品に気取った文学は期待しないでほしい――熊のベアルーとか蛇のスネイクーとか虎のタマヌーとかがしゃべる、ジャングル・ブックみたいなのは。生涯のほとんどをニューヨークの安アパートで過ごし、部屋の隅っこの古い化繊のシュミーズ(港湾労働者の奥さんたちのパーティで吾輩の女主人がポートワインをこぼして汚してしまったやつだ)の上で寝てきた駄犬だ、語りの芸の妙技を披露するなんて思われては困る。
吾輩は駄犬である。生まれた日、生まれた地、血統、そして体重については頓と見当がつかぬ。何でもブロードウェイと二十三丁目の角で、どこかの婆さんが吾輩をバスケットに入れ、太った女性に売ろうとしていたことだけは記憶している。そのハバード婆さん[3]は吾輩を猛烈に売り込んでいた、純血のポメラニアン・ハンブルトニアン・レッド・アイリッシュ・コーチン・チャイナ・ストーク・ポギス・フォックステリアだ、とか言って。太った女性はサンプルでもらったグログランのフランネルの端布がいっぱい入った買い物袋のなかをがさごそ引っかきまわして五ドル札をとりだし、最後には言い負かされた。かくして吾輩はペットになった――ママお気に入りの「あーよちよち」にだ。さて、心ある読者諸君、あなたはカマンベールチーズとポー・デスパーニュの香水が混ざったような息を吐く二百ポンド(約九十キロ)もある女性に抱き上げられたことがあるかね? 体中に鼻をこすりつけられ、エマ・イームズ[4]顔負けのソプラノボイスで「あーよちよち、おーよちよち、かわいいわんこちゃん?」なんて言われたことがあるかね?
純血の駄子犬から無名の駄成犬に育った吾輩は、アンゴラ猫と箱一杯のレモンをかけあわせたような顔になった。つまり、仏頂面だ。それでも吾輩の女主人はまるで気にしていなかった。大昔にノアが箱舟に入れた二匹の子犬が吾輩の祖先の親戚にあたると信じて疑わなかった。マディソン・スクエア・ガーデンでシベリアン・ブラッドハウンドの品評会が催されたときは、警官がふたりがかりで、吾輩を参加させようとする彼女を止めたほどだ。
アパートの話もしておこう。建物はニューヨークでは標準的なもので、玄関ホールには白い大理石が、一階より上にはでこぼこの石が敷かれていた。吾輩たちの部屋は階段を三つ登った、というか、這いあがったところにあった。女主人はそこを家具なしで借り、ありふれたもので埋めた――新品のアンティーク調の布貼りの客間セットと、ハーレムの茶室にいるゲイシャの石版画と、ゴムの木と、そして夫だ。
ああ、大犬座の星よ! そいつはなんとも哀れな二足歩行の動物だったよ。吾輩みたいなくすんだ黄色の髪と髭の小男だ。めんどりにブスブスつつかれていたかって?――まあ、オオハシとかフラミンゴとかペリカン級のでっかいくちばしにばんばん突つかれていた。せっせと皿を拭きながら、女主人のおしゃべりにも付きあっていた、高そうなリス皮のコートを着た二階の女が安っぽいぼろぼろの服を物干し紐に干していたとかなんとかいう話にもだ。そして毎晩、女主人が夕食を食っているあいだ、吾輩の散歩をさせられていた。
もし男たちが、一人でいるときの女たちの様子を知ったら、けっして結婚などしないだろう。ローラ・リーン・ジビー[5]を読む、ピーナッツのブリトルを食べる、アーモンドクリームを首にちょんと塗る、皿は洗わない、三十分ほど氷屋と立ち話をする、昔の手紙の山を読み返す、ピクルスをつまみに麦芽の飲物を二瓶飲む、ブラインドの隙間から吹き抜けの向こうの部屋を一時間ばかりのぞく――だいたいそんなことばかりしているんだから。そして亭主が仕事から帰ってくる二十分前になると、家を片付け、見えないように入れ髪をして髪を整え、縫い物をつみあげて十分ほど縫うフリをする。
そういうところで吾輩は犬らしく暮らしていたのである。一日の大半は部屋の隅っこに寝そべり、その太った女性が暇をつぶすのを眺めていた。眠ってしまうこともあり、ろくでもない夢も見た、猫どもを追いかけて地下室へ追いこんでいったり、黒い手袋の老女たちに唸り声をあげていたりというような。まあ、そういうのがふつうは犬に期待されていることではあるんだが。女主人はよく吾輩に襲いかかってきた、腑抜けのプードルみたいなたわごとを浴びせかけて鼻先にキスしてきた――しかし、吾輩はどうしようもなかった。気持ち悪いときに人間がかじるような薬草の用意もなかったから。
吾輩は次第に旦那のほうが気の毒に思えてきた、まるで犬の遠吠えではあるが。散歩に出ると、道行く人もすぐ気付くほど吾輩たちはそっくりだった。だから、モルガン種の馬がひくような高級な馬車が行きかう通りは避けて、十二月の雪がまだうず高く残っているような貧しい人々が住む通りに入っていった。
ある晩、そんなふうに散歩をしていた時のことだ。吾輩は受賞したセントバーナード犬のようなふりを、旦那はといえば、手回しオルガン弾きがメンデルスゾーンの結婚行進曲を演奏するのが聞こえてきたとしてもそいつを殺すような素振りは見せないふりをしていた。吾輩は旦那を見上げて言った、犬の言語で。
「どうしてそんなに不機嫌そうにしている、麻紐で編んだロブスターみたいな面で? 彼女はあんたにはキスしないだろうが。彼女の膝の上でおしゃべりを聞く必要もあんたにはないだろうが。ミュージカル・コメディーの楽しい本までエピクテトス[6]の退屈な語録みたいにしてしまうんだぜ。犬でないことに感謝しろ。元気出せよ、ベネディック[7]。憂鬱なんかぶっとばせ」
結婚の受難者は吾輩を見下ろした、顔に犬の知性があらわれてきた。
「どうした、犬ころ」と旦那は言った。「いい子だなあ。言葉でもしゃべれそうな顔をしているじゃないか。なんだい、犬ころ――猫でもいるのか?」
猫だって! しゃべれそうだって!
しかし、もちろん、旦那には分かりようがない。人間には動物の言葉は通じないのだから。人間と犬が意志疎通できるのは、読み物のなかだけだ。
廊下を挟んだ向かいの部屋に、黒とこげ茶のぶちのテリア犬を飼っている女性が住んでいた。彼女の旦那もまた、そいつを紐につないで毎晩散歩に出かけていたが、いつも楽しげに口笛を吹きながら戻ってきた。ある日、そのぶちと廊下で鼻つきあわせる機会があったんで、説明がほしくて小突いた。
「なあ、おい、おチビちゃん」と吾輩。「男の本来の姿じゃないよな、人前で犬の世話なんてするのは。わんわんに紐で繋がれた大の男で、じろじろ見てくる連中をぶんなぐってやろうって目をしていないやつなど、吾輩は見たことがないぞ。ところが、おまえのところの飼い主は毎日元気はつらつで姿勢もよく、まるで卵で手品をするアマチュアのマジシャンだ。いったいどうしてだ? 散歩が好きだからだなんて言うな」
「あの人ですかい?」とぶち。「旦那が使うのは「自然な治療」、つまりは酔っぱらうわけでさあ。家を出るときゃ内気な旦那で、みんながジャックポット[8]に夢中になっているそばで地味にペドロをはじめる船乗りみたいな男さ。それが酒場を八軒もまわると、紐の先が犬だろうが猫魚(ナマズ)だろうが気にしちゃいない。あっしなんか、スイングドアに挟まって尻尾を二インチ(約5センチ)なくしちゃいやした」
このテリアからもらった情報――寄席芸人はこの名調子に学ばねばならん――でいいことを思いついた。
ある晩の六時頃だった、女主人が旦那にあれこれやらせはじめて、そのうち「かわいこちゃん」に新鮮な空気を吸わせるようにと命じた。今までひた隠しにしてきたが、吾輩はそう呼ばれていたのだ。あの黒とこげ茶のぶちの名は「ぴよぴよちゃん」だ。吾輩のほうがやつよりはぜったいましだとは思う。ただ、「かわいこちゃん」は名前としては空き缶みたいなもので、自尊心を持つ手がかりがまったくない。
安全な通りの静かな場所で、吾輩は旦那の持つ紐を引っ張り、魅力的で上品な酒場に誘ったのである。ドアに突進し、クンクン鳴いたのである、小川で百合を集めていたかわいいアリスが穴に落ちたことを家族に知らせるために伝令として飛びだした犬のように。
「おやおや、目を疑うぜ」旦那は言い、ニヤッと笑った。「レモネードみたいなサフラン色のぼうやが俺を酒に誘うってか。そうだな――ずいぶん前のことだよな、足のせに片足置いて靴の革を休ませてやったのは。まあ、ちょっとくらいなら――」
思った通りだった。旦那はテーブルの席に座ってホットスコッチを飲んだ。一時間、キャンベル[9]を頼み続けた。吾輩はかたわらに座って、尻尾をパタパタ叩いてはウエイターを呼び、無料のランチにありついていた、女主人が旦那の帰る八分前に惣菜屋で買ってきて手作りとして出すできあいのものよりはるかにうまかった。
スコットランドの名産品をすっかり飲み干し、あとはライ麦パンだけというところで、旦那は紐をテーブルの脚からほどき、吾輩を外で遊ばせてくれた、釣り師が針にかかった鮭を遊ばせるように。そして、吾輩の首輪を外して道ばたに投げ捨てた。
「可哀そうな犬ころだ」旦那は言った。「でも、いい犬ころだ。あいつがお前にキスすることももうねえ。恥ずかしいったらありゃしねえ。行けよ、犬ころ。通りで馬車にでも轢かれて幸せになれ」
吾輩は立ち去るのを拒んだ。旦那の足のまわりで飛び跳ねて尻尾を振った。絨毯で遊ぶパグみたいに幸せそうに。
「おい、こら、蚤だらけの頭の野ネズミ追いのボケが」吾輩は言った。「月に吠えてウサギを見つけて卵を盗むビーグル犬のボケが、分からんか、吾輩がお前と離れたくないのが? 分からんか、吾輩たちはどちらも森をさまよう子犬なんだよ、奥さんはおっかないおじさんであんたには皿を拭けとタオルを投げてきて、吾輩には蚤除け軟膏を塗り、尻尾にピンクのリボンをしばりたがる。もうこんなのはやめにして、二人だけでずっとやっていこうぜ」
読者諸君は、旦那は理解できなかったと言うだろう――そうかもしれない。しかし、ホットスコッチのおかげか、旦那はじっと立ったまま、数分間、考えていた。
「犬ころ」旦那がついに口を開いた。「この地上で十二回生きることはできないし、三百年以上生きる動物もほとんどいない。うちうちの話、このままうちへ帰れば、俺はうちひしがれるばかりだし、お前だってもっとうちひしがれるだけだ。オッズ六十倍で賭けてもいい、西に行こうぜ、ダックスフンドの胴体くらいの差でぜったい勝ちだ」
もう紐はなかった、しかし吾輩は二十三丁目のフェリーまでご主人さまのまわりで跳ね回っていた。すれちがった猫どもはしっかりした爪をもっていてよかったとホッとしたことだろう。
ジャージー側の港に降りると、干し葡萄パンを立ち食いしていた見知らぬ男にご主人さまは話しかけた。
「俺とこの犬ころ、ロッキー山脈に行くんでさあ」
しかし、なによりも嬉しかったのは、こっちが悲鳴をあげるまで両耳を引っ張ってこう言ってくれたことだよ。
「地味な、猿の頭に、鼠の尻尾の、硫黄色の、ドアマットのぼうやよ、これからお前を俺がなんて呼ぶと思う?」
吾輩は「かわいこちゃん」だと思い、悲しげに鳴いた。
「「ピート」と呼ぶ」とご主人さまは言った。尻尾を五本振ったって、このときの吾輩の気分を表現するには足りない。
[1] ウィリアム・ジェニングス・ブライアン。大統領候補に何度も選ばれた民主党の実力者。一九〇〇年にも大統領選に出馬し、落選はしたが、人気のある演説の名手だった。
[2] 西インド諸島のマルティニーク島にある火山。一九○二年に噴火し、死者の数は三万人を越えた。
[3] イギリスの伝承童謡集マザーグースに登場するお婆さんで、飼い犬との愉快なやりとりが歌われている。
[4] ニューヨーク、ロンドン、パリで活躍したソプラノ歌手。
[5] アメリカの女性小説家。大衆受けのする小説を書いた。
[6] ストア派の哲学者。
[7] シェークスピア『空騒ぎ』に登場する独身主義者で女が苦手。
[8] トランプ遊びのひとつ。
[9] スコットランド西部の町。世界のウイスキーの首都とも呼ばれていた。